2009年12月30日水曜日

『村上春樹の講演と葬送の自由をすすめる会』

葬送の自由をすすめる会というものがあります。私はその会の関西支部長をさせていただいています。先日はその会の会報誌に次の様な原稿を送ったところ,大変好意的な反響をいただきました。私自身も気に入っています。もっといろんな人によんでいただきたいということで,ブログでも公開することにしました。読んでいただけるとうれしいです。
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私が初めてある雑誌で「葬送の自由をすすめる会」を知った時の喜びを,昨日のことのように覚えています。「同じような考えの人がいる」「仲間がいるんだ」ということを発見した喜びだったように思います。
 だいぶ前にある週刊誌で村上春樹さんの「イスラエル賞受賞演説」を読みました。名前だけは知っていたのですが,まだ小説を読んだことはありません。しかし,その「イスラエル演説」には感動しました。演説の趣旨は,「壁としてそびえるイスラエル側にいかに正義があろうと,私はその壁にぶつかって死んでいく弱い卵の側パレスチナの人々の立場に立つ」というものでした。社会の大きなシステムの中に組み込まれた人間が,無残に死んでいく。そのことに対する抗議の演説でした。演説は,スタンディングオーベーションで終わったそうです。これ以後のイスラエルの行動に,なんらかの影響を与えてほしいと願っています。そうなれば,この演説だけで,村上春樹さんは「ノーベル平和賞」に値するのではないでしょうか。
「葬送の自由をすすめる会」の運動と村上春樹さんの講演趣旨には,近いものを感じています。社会システムに組み込まれた葬送を個人の手に取り戻す必要があります。裸で生まれた人間,裸で死んでいくのが自然の姿だと思います。死ぬ時は,平等に死にたいものです。誰もが「平等」に実現可能な形の葬儀が,大切だと思います。勿論,いろんな人がいて,いろんな考えがあるのは当然です。だから,仲間を増やし,交流を深め,誰もが平等に実現可能な人生最期の素晴らしい儀式〈自然葬〉を大切にしていきたいと思います。
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続いて,個人研究報告会を予定しています

第1回の個人研究報告会がとってもたのしかったので,第2回目を計画しました。
「作者不明の詩〈千の風〉の背景を考える会」
〈千の風になって〉という歌があります。とってもいい歌で,歌詞の内容も素敵です。ただ,「千の風」だけが強調されていますが,なるのは「千の風」だけでなく,「ダイアモンド」にもなり,「太陽光」にもなり,そして「やさしい秋の雨」にもなります。それだけのものになるということは,「一体どういうことなのか?」「この詩が生まれてきた背景は一体どういうものなのか?」
 そういうことに興味を持ち始めました。そんな時です。〈千の風になって〉を訳された新井さんの絵本を見る機会がありました。新井さんは,この詩の背景にアニミズム(あらゆるものに霊魂がやどるという考え)があると書かれていました。それを読んだ瞬間,「それはおかしい」と思いました。それで,もとになった原詩を手に入れてみたら,新井さんの訳自体にも,いろんな不満ができてきました。
 私の考えは,「この詩の背景にはもっとヨーロッパの深い歴史に関連したものがあるのではないか」というものです。
 その仮説を裏付けるような資料をご紹介して,たのしくて納得していただける話ができればと思います。
場所も日時も未定(一応,「秋」に「京都」を予定しています)が,参加していただけるとうれしいです。
私は,「葬送の自由をすすめる会」の関西支部長もしていますので,その会の拡大会員交流会と合同開催になるかもしれません。
 「たのしい研究」になりそうです。「たのしい話」にもなればうれしいです。少しでも興味をもっていたいだけるとうれしいです。
★日時
2010年9月??日(?)午後2時~4時30分

★場所
ウイングス京都(京都四条烏丸)を予定

2009年12月27日日曜日

第1回「街路樹たちの歌」コンサート終了

 研究報告会に続いて,行った第一回「街路樹たちの歌」コンサートも
無事終了しました。実態は,カラオケ大会だったのですが,それでも
会が持てたことに感謝しています。2人の方にも参加していただきました。
その内のお一人は,東京から来ていただけました。
 次の9曲を歌わせていただきました。私はとってもたのしかったです。
聞かれた方も,尾崎の新しい面に気づけたと喜んでいただけました。
私としては,2時間半の研究報告会の後,1時間半歌い続けられた
ことに驚いています。歌ったのは次の9曲です。
①ダンスホール ②クッキー
③I Love You ④Forget Me Not
⑤僕が僕であるために ⑥シェリー
⑦太陽の破片 ⑧街路樹
⑨闇の告白

なにはともあれ,
2時間半研究報告をして,1時間半歌い続けられたことを
喜んでいます。それならもっと体力をつけてと早くも来年に
むけて始動しています。ということで,
来年もやります。年末の土曜日は参加したくてもできないと
いう声を聞きましたので,来年は第1土曜日の4日にやります。
ご予定していただけるとうれしいです。
あくまで,「街路樹たちに歌」ですので。
歌い手も募集しています。一緒に歌いましょう。
ただし,曲は尾崎限定です。

研究報告会無事終わりました

昨日,研究報告会無事に終わりました。
会場に行って,「吉田秀樹研究報告会」の
案内を見た時は,思わず苦笑しました。
こういうことを自分で企画できるように
なったことに,自分の成長の跡を感じることが
できます。でも,報告会の部屋の前に立っていたら
ある人から「一体何の会なんですか?」と聞かれた時は
自分でも笑えました。なにか新興宗教の会と
思われたのかも知れません。
報告会には,年末の忙しいときにはかかわらず,
なんと7名の方に来ていだたきました。
感謝の一言です。
この会にむけて,大きな成果がありました。
それは,
紀元前から,
やはり「地動説が問題だったのではないか」
ということの発見です。
地動説を述べた本がまったく残っていないのが,
その根拠です。
これは,古代史を見直す
大きなキーワードのなりそうです。
2010年の研究テーマが見つかりました。
来年も,「吉田秀樹研究報告会」を
やります。
ぜひご参加ください。

2009年11月28日土曜日

青山学院高等到着

丁寧な地図のおかげで直ぐにみつかりました。大学も一緒なんですね。予想外でした。立派な建物です。守衛さんもいて入りずらいの今日はここまでにします。しかし朝刊を配り夕方は皿洗いをしながら、朝霞からここまで毎日通学するのは、本当にに大変そうです。これから雑誌の編集会議に参加するために高田馬場に戻ります。

クロスタワー発見

初めてクロスタワーに来ました。尾崎モニュメントの周りに書かれいるたくさんのメッセージを見ました。コメントは…です。一度来る価値はありますよ。僕は尾崎を好きなファンにいつも感動しています。

やっと渋谷到着

やっと渋谷に到着しました。練馬春日町をかなりの歩き回ったのでさすがに疲れています。これから青山学院高等を目指します。今回はミクシー仲間リベカさんから道順を教えてもらっているので間違わずに行けそうです。ちなみにリベカさんは青山学院高等の卒業生です。

練馬春日町の家を発見

いろいろ歩き回ってやっと練馬の公営住宅を見つけました。今はビルに建て変わっていますが、ここに木造の家があったはずです。

やっと見つけました

やっと見つけました。練馬東中学です。駅からかなり歩きました。

やっぱりどっちに転んでもシメタ

間違ってよかったと今心底思いました。練馬春日町は遠いです。朝霞から練馬春日町まで三年間通い続けた尾崎の気持のおおきさや深さに思いをはせています。

大失敗

春日駅に着いた時変な感じがしました。尾崎が育った町とは思えない雰囲気です。派出所の人に聞いたら、ここは文京区春日町で、あなたが探しているのは練馬春日町で全然違うとのこと。尋ねたホテルのフロントの人の勘違いでした。しかし事前にちゃんと調べなかった自分も悪い。前回も苦労したけど今回もです。まあその方が思いも高まっていいんだということで、やっぱりどっちに転んでもシメタです!

東京の朝です

朝です。昨日の原稿検討会で、改めて原稿を書く姿勢の甘さに気づかされ、かなり意気消沈しかけましたが、そのことに気づけることのありがさにもきづきました。まだまだです。だからこそまた今日からたのしく研究を続けようと思います。

2009年11月27日金曜日

八王子到着

八王子のインターを出ました。あっという間に着いた感じです。車中ではプルタルコスの「英雄伝」の気になる箇所も読めたし、綺麗な富士山も見ることができました。この上京方法なかなかいいです。次回もこの方法にしようと思います。

景色一変

中央高速に入りました。窓から見える景色がまるで高原のようです。全体が赤く色づいています。曇っていて遠くの山々は見えませんが、この景色だけで中央高速に来たかいがあると思います。この形の東京行き、おすすめです。シートもフラットに近く倒れるので,寝転んで旅行しています。

東京に向かっています

予定通り9時発のバスに乗りました。新宿には5時前に着く予定です。今回バスにしたのは、二階建てバスということと中央高速を通るということと費用が5880円と安いことです。冬支度の日本アルプスの山々を見るのが楽しみです。

2009年11月26日木曜日

テスト送信です

明日から1泊2日で東京に行きます。目的は二つです。「たのしい授業」という雑誌の編集会議に参加することと尾崎豊が卒業した練馬東中学と青山学院高等学校を尋ねることです。尾崎が小学校時代を過ごした練馬春日町を歩いてみます。

2009年10月28日水曜日

エジプト神話が教えてくれること

エジプト神話が教えてくれること
 神話が作られた意図がこれほどはっきりしているものはないような気がします。この神話は,「エジプト暦」と言われるものとつながっています。
 「エジプト暦」は,1月を30日としています。しかし,そうすると,30日×12月=360日にしかなりません。つまり5日間が不足するわけです。 暦を管理する人たちにとって,「5日間」を挿入する正当性が必要になってきます。「いいかげんに挿入した」と言われるのことは致命的です。
 だから,彼らは「神話」を必要としたのでしょう。
 このシリーズ,これで終わりです。最後は私らしくエピクロスの言葉で締めくくりたいと思います。
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「神話に関することが何か気にかかっていて,宇宙の真実がなんであるかを知らないならば,最も重要なことについての恐怖を解消することができない。それゆえ,自然科学の研究なしにわれわれは,本当の〈たのしさ〉を得ることはできない」(主要教説)
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エピクロスは,やはりすごいと思われませんか。今から2300年以上も前の言葉です。  板倉先生の言葉とも言えるような気がしませんか。

エジプト神話(その4)

エジプト神話(その4)

 怒った太陽神「ラー」は,生まれた5人の子どもたちに,自分の光・太陽を与えることを拒否しました。 5人の子どもたちは,「存在しない日」に生まれなければならなくなりました。 母ネートの悲しみがしのばれます。
 しかし,ヌートを愛していた時の神「トウト」が,なんと5日間をヌートに与えました。 5日間をもらったヌートは,その5日間に順番に5人の子どもを生みました。
 その5人の子どもが,
オシリス・ハロエリス・セット・イシス・ネプティス
というわけです。
 後に,オシリスとイシスが結婚し,それを恨んだセットがオシリスを2回にわたって殺したという話につながっていくわけです。切り刻まれたオシリスの復活が,「ミイラ」の話につながっていくことになります。
 では,太陽神「ラー」のその後の人生は,どうなったのでしょう。愛する相手を奪われた「ラー」の精液は,空しく空中の飛び出します。しかし,それは地面におちてある石に変化します。 その石が「ベンベン石」と言わるもので,実は,ピラミッドの原型と言われるものなのです。 そして,この「ベンベン石」にうつるシリウスの光が,古代エジプトに「太陽暦」をもたらすことになるのです。

2009年10月27日火曜日

エジプト神話

みなさんへ〈古代エジプト〉に留学中の吉田です
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エジプト(神話その1)
 エジプト神話を知っていますか。オリシスとイシスの,兄と妹が結婚したという話をどこかで聞かれたことはありませんか。このオリシスというのは,〈太陽暦の発明〉に深く関係した一番明るい恒星「シリウス」のことだそうです。
 しかし,エジプト神話をオリシスとイシスから話し始めると,「たのしくない話」「わけのわからない話」になるような気がします。
 ということで,「知ってたのしいと思えるエジプト神話」の話ができればと願っています。 お付き合いいただけると,うれしいです。*************************************************
まったくの「素人神話学」です。間違っている点があればぜひ教えてください。


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エジプト神話(その2)
 この世の始めに存在したのは,不動の神「ヌン」と天空の女神「ヌート」と時の神「トウト」です。
「ヌン」の意志で,地の神「ゲブ」と太陽神「ラー」とが誕生します。「ゲブ」は「ラー」の兄になります。
 太陽神「ラー」は,天空の女神「ヌート」と結婚します。しかし,「ヌート」は「ラー」の兄,「ゲブ」と浮気をしてしまいます。
 そのことを知った,「ラー」はどういう行動に出たでしょうか。

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     系図その1
 不動の神      天空の女神      時の神 
  ヌン         ヌート          トウト 
  ↓ 
  ↓  
  ↓ 
 長男「ゲブ」 (地の神) 
  ↓ 
 次男「ラー」 (太陽神)


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     系図その2
 太陽神「ラー」…天空の女神「ヌート」…地の神「ゲブ」       
     〈夫婦関係〉       〈愛人関係〉 

ラー(弟)とゲブ(兄)は兄弟関係


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エジプト神話(その3)
 太陽神「ラー」と妻「ヌート」の間には子どもが生まれませんでした。
 しかし,「ヌート」は,「ラー」の兄「ゲブ」(地の神)の間に,5人の子どもを身ごもります。今風に言うと「不倫の子」です。ましてや妻の浮気の相手が実の兄なのですから,「ラー」の気持ちがしのばれます。

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2009年8月27日木曜日

テスト送信です

写真を送ったらどうなるかのテスト送信です。

気になった記事

たまたま入ったラーメン屋で置いてあった
『フライデー』を何気なく読んでみました。

FRYDAY8/26増刊号(講談社、平成21年)

です。

その中に,

「世界のロック&ムービースター31人の死」

という特集がありました。
「きっと尾崎も載っているだろう」という
仮説を立てて,読んでみました。
予想通り,載っていました。日本では,他には
松田優作,夏目雅子,沖雅也,岡田有紀子,
hide,沖田浩二が載っていました。

尾崎の記事はこんな内容でした。

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尾崎豊
肺水腫 26歳(1992年)
「92年4月25日、東京足立区の民家の軒先で、傷だらけで倒れていたのを住人に発見され、搬送先の病院で死亡。死因は、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用による、急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫だった」

***********************

「肺水腫」,「致死量の2.64倍の覚醒剤」
この2つの事実は,すでに多くの人に納得してもらえる事実でしょう。
問題は,「服用」という言葉です。
「服用」という言葉は,
「自分で飲んだ」ということになります。

それは,まったく納得がいきません。
尾崎の名誉のためにも,
尾崎は「服用」してはいません。
これだけは,断言したいです。
では,なぜ体内から致死量の2.64倍の
覚醒剤がみつかったのか。
これが「なぞ」なのです。
ことは「犯罪に関すること」になりかねない
慎重な取り扱いを要する出来事です。

ただ犯罪としても,すでに時効は成立しています。
だから,犯人を捜すとかといったことではなく,
尾崎の生き方としての「真実」を
明らかにしたいと思います。
尾崎の頑張りを無駄にしないためにも。

2009年7月26日日曜日

もう一つの「中国・日食観測旅行」

●もうひとつの「中国・日食観測旅行」
 研究仲間の西村先生が,日食観測で中国に来られていたことは知っていたので,ひょっとしたらお会いすることがあるかなと思っていたのですが,まさか上海空港のトレイの入り口で,ばったりお会いするとは。西村先生の顔が目の前に見えた瞬間,本当にびっくりしました。これもひとつの日食みたいなものだなあと思いました。
 
「せっかく中国まで来たのに,残念でしたねえ」の僕の声に,西村先生は興奮気味に「ダイヤモンドリングも金星も見えたよ」は言われました。「えっ!どこでですか」との僕の質問に,「武漢です」との答え。
 即座に,西村先生に日食観望記を書いていただき,この文章に掲載することをお願いしました。西村先生は,躊躇なくその願いを聞いて下さいました。そしてさっそく次のような文章を書いて,貴重な写真とともに,送っていただきました。
西村先生,本当にありがとうございます。さすがに仮説実験授業で出会った研究仲間は,ありがたいし,素晴らしいです。掲載の写真は,西村先生が撮影されたものです。写真については,直接西村先生にお尋ねください。

西村寿雄
メールアドレス  ja3aeh@cc-net.or.jp




日食観望記
                         西村寿雄

「うわー」,「うわー」。
どよめきがあちこちからわき起こる。
あたりの景色は,みるみるうちに闇の世界へ。
道路の街灯が一斉に点灯し,あたりは夜の街に豹変。
空を見ると,すばらしいダイヤモンドリング。
どこからともなく拍手。拍手。
やがて,完全な皆既日食に。
頭上に,こうこうと光輝く一点の明るい星。
「金星だ」,と星仲間が叫ぶ。
〈明けの明星〉〈宵の明星〉が,真昼の明星として頭上から光を照らす。
やがて,二度目のダイヤモンドリング。
またまた,拍手がわきおこる。




やがて,少しずつ明かりがもどり始める。
いましがたの感動を互いに語り合う人々の姿が,またどよめきとなる。
かくて,世紀の天体ショーは徐々に幕を閉じていった。

 7月22日,午前での中国・武漢(Wohan)での光景です。朝からときどき薄雲が空を横切るものの,ほぼ晴れた状態でした。
 私は地学関連のツァーに参加しました。運良く上海から西600kmの武漢が観望場所に選ばれていたのです。責任者に聞くと「上海近くは台風等の影響など受けやすい」という理由で回避されたとのこと,わずかな高確率予測が功を奏した結果になりました。
 瞬く間に暗闇になっていく天体現象は,予備知識がなかったら恐れおののくに違いない光景でした。この日食の姿を,ギリシア時代にすでに予測していた人がいたとは,改めてギリシアの科学に感服した一時でもありました。                  2009,07,25

2009年7月25日土曜日

あとがき

旅行記を読みなおしてみると,
いつの間にか,古代ギリシアが,タレスが
どこかに行っていました。
しかし,きざな言い方になれば申し訳ないのですが,
僕は,タレスをことを
そしてタレスの仲間,ソロンのことを
いつも心に思いながら,
旅行ができたように思います。

だから僕は今,勝海舟の言葉を信じます。

「時代が人を作る」

そして今,
中国にその大きな流れが生まれているように
感じました。

日本では,過去にあった同じ流れは無理だとしても
成熟社会にふさわしい新しい「時代の流れ」を
生み出していけたらなあと思いました。

突然の雨のおかげで,出会えた人たち。
初めて見た遮光板で,三日月のような太陽の見て,
「はじけるような笑顔」
を見せてくれた中国の人たち。

あなたたちの笑顔が
「僕にとってのダイヤモンドリング」
となりました。

いつになっても
世界中の人々が笑顔で
皆既日食をたのしめるような
そんな平和な世界が一日を早く来ることを
願いつつ,
この旅行記を終わりにします。

最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。

2009.7.25(土)
日本時間 午前10時4分
吉田秀樹

2009年7月23日木曜日

おまけの報告

今回の日食観測旅行での忘れられない思い出は、日食観測中に立ち寄ったドライブインでの出来事です。遮光板で太陽を見ていたら、いつの間にか隣にやって来たドライブインの店員さんが見たそうにしているので貸してあげました。そしたら予想以上に三日月状態の太陽が見えたようで、とても喜んでもらえました。それで返してもらえるかなと思っていたら、大声で友達をよびました。そしたらたくさんの人が来られてあっという間に人だかりができました。ドライブインにいた人達まで集まって来て、もう私の見る時間はなくなってしまいました。しかしおかげで貴重な体験ができました。以前板倉先生から、ヨーロッパで発見された望遠鏡が日本にやって来るのに、時間がほとんどかかっていないという話を聞いたことを思い出しました。望遠鏡を日本を伝えた人たちもひょっとしたら同じような楽しさを感じたのかもと思えました。私も自分が見るよりも、楽しそうに遮光板で三日月になった太陽を見て楽しそうにしている人たちを見て、楽しいなと感じました。中国日食観測旅行の大切な思い出になりました。

出国まじかです

出国手続きを終えて後は飛行機が飛び立つのを待っだけです。
日食観測目的できたのに、予想外の出会いがありました。
中国のことが少しわかりました。
沈さんをはじめ、いろんな人に出会えました。
楽しい思い出ができました。
沈さんにごちそうしてもらった中国料理は,
本当においしかったです。
また日本,そして京都に来てください。
今度は僕がごちそうします。

上海の街にあふれているパワーには感動しました。
楽しい旅行でした。
同行のみなさんにはお世話になりました。
森さん,山本さん,田中さん,
この旅行にさそってくれた吉田吉彦さん。
本当に楽しい4日間でした。
ブログを読んでくださった方々ありがとうございました。
日本に帰ったらまた研究をすすめます。
伝えたい古代ギリシアが見えています。

中国4日目の観光

最後の日は観光もと言うことで、森タワービルと魯迅記念館に行きました。森タワーは雲の中で余り景色は見れませんでしたが、足許を飛ぶように流れて行く雲が壮観でした。魯迅記念館では、いろんな展示物を見たり,魯迅の言葉に接しているうちに熱いものが込み上げてきました。思わず『阿Q正伝』を買いました。必ず読みます。この後昼食を食べて上海空港に向かいます。中国ともお別れです。

中国4日目の朝

朝5時に起床。ホテルの周りをジョギングする。早くも街は動いている。そこかしこの店が営業を開始している。お年寄りたちがそこかしこのビルからでてきている。住居のビルはほとんどが六階建てある。エレベーターはない。階段が登れない人が,ここで暮らすのはほとんど不可能と思われる。早朝のジョギングや太極拳へかける人々の思いや願いを感じることのできた,私の早朝ジョギングだった。
終わった後飲んだ、上海マクドのコーヒーはおいしかった。流れてくる中国の音楽も心地よかった。またいつか中国に,上海に,そしてこの中山公園に来たいと思った。

2009年7月22日水曜日

日食観測!?その4

9時55分,トイレ休憩でドライブインに。その時突然雨がやみ、細い三日月状の太陽が現れる。まだ90%近く欠けていることに驚く。それなのにあたりはもう普通に明るい。10時9分再度顔を出す。まだ三日月状態。70%以上欠けている。改めて太陽の明るさに驚く。
10時15分、再度出現。それでも40%くらい欠けている。

10時45分、土砂降り降りの雨の中上海に帰っています。
日食観測報告これにて終りです。

読んでくださった方、ありがとうございました。

日食観測!?その3

9時38分、少し明るくなり、タイピング可能に。
9時40分、一気に明るくなり、普通の状態に近くなる。
9時45分普通の状態に戻り、私たちも上海に戻り始める。
9時48分本格的な雨となる。
降り始める直前,間一髪で60%くらい欠けた三日月状の
太陽を見ることができたことに。

日食観測!?その2

上海方面に戻り始めた途端に雨が降り始める。
午前9時28分、上海方面に移動中。
辺りはすっかり暗くなる。
対向車の2割近くがヘッドライトをつけている。
あまりに暗くなったのでこの携帯パソコンを打っことも困難に。
(使用したパソコンは,pomeraというテキストファイルのみのの,
メモに特化したもので,バックライトはついていない。
しかし,今回の旅行ではこのpomeraにはお世話になった。というか
このパソコンのおかげで,この記録が可能になった)

打っているうちにさらに暗くなる。
現在9時30分、あたりは真っ黒に。
今はまったくの夜です。

日食観測?!

午前8時ホテルを出発。
絶好の観測地点と言われるポイントに向けて出発する。

しかし,時差を考慮することを忘れていたので,
早くも,車の中から30%欠けた太陽が見える。

すぐに近くのインターで車を止め写真撮影。
雲の中から時々顔を出す三日月の太陽を撮影できました。
インターで、これから行こうとしている場所から
戻って来た人たちの情報によれば、その場所は雨とのこと。
(中国では,インターの中で行く方向を変えることができるのです)

急きょ予定を変更して上海方面に移動することに。
第一報告終りです。

3日目の中国です

今,朝の7時47分です。
上海から車で2時間半ほどかかる杭州市に来ています。
本格的に曇っています。
後3時間で晴れるでしょうか。
昨日の杭州の快晴がうそみたいです。
みんな,なんとなく暗い気持ちになっています。

2009年7月21日火曜日

二日目の中国

早朝6時より、ホテル近くの中山公園をジョギング。
たくさんの人が太極拳を楽しんでいました。
その楽しそうに太極拳をするお年寄りたちの様子を
ニコニコと笑顔で見ていく外国人たちの笑顔が素敵でした。
しかし気がつけば僕もここでは外国人だということなので、
ちょっと不思議な気がしました。

上海雑技団

上海雑技団の演技を見ました。
言葉にならない感動をおぼえました。
明日雨で日食が見れなくてもかまわない、
上海に来てよかったと心底思える演技でした。
若い彼らと彼女らたちの日々の努力に
最大の賛辞を贈りたい気持です。
世界は広い!
そして人間は素晴らしい!
ホテル33階の窓から,
暗くなってところどころに
明かりの灯る上海の街を見ながら。

上海にいます

上海に着きたした。最初携帯がつながらなくてあせりました。
しかし同行の人に海外設定の必要性を教えてもらいました。
やっとつながりました。
それにしても,上海は暑いです。
昨日は40度あったそうです。
ものすごい人,そして自転車、バイク、車です。
すごいパワーで街が動いています。
流動人口三千万人だそうです。
その数を実感しました。

2009年7月20日月曜日

関空です

途中JRが信号の故障で止まったりと
トラブルがあったのですが、なんとか関空に到着しました。
9時50分に上海に向けて出発します。

おはようございます

ただ今午前3時51分。予定通り起きれました。
これから最後の点検です。
しかし、タレスのことが気になります。
タレスが人類史上初めて日食を予測し、そして的中できたのは、個人的な才能によるのでしょうか、それとも勝海舟の「時代が人を作る」という言葉のように、何か社会的な要因によるのでしょうか。どう思われますか。


予想
ア、個人的才能が大きい。
イ、社会的要因が大きい。

2009年7月19日日曜日

旅行に向けて,携帯からのテスト送信です。

「皆既日食見学旅行(その4)」

タレスは,日食の原因を知りませんでした。

では,なぜタレスは日食を予想できたのでしょうか。

実は,彼はある人たちが長年にわたって集めたデータを利用したのです。

それは,タレスの近くの国バビロニアの神官といわれる人たちが
集めたデータでした。神官たちは,太陽の動きを克明に記録していました。
その記録は,前721年以来続いていたそうです。
だから,そのデータに基づけば,次の日食はいつ頃起るだろうという予測は
可能になっていたのです。
しかし,神官たちは,その情報を民衆に公開することはありませんでした。
その情報は,王のためのものだったのです。
だから,なんかのルートでその情報を知って,
しかも民衆に公開したタレスは
偉大だと言えるのではないでしょうか。

しかし,そのタレスも,いつ頃に日食が起こるということは
予測できても,それがどこでおこるかということまでは,知らなかったのです。
それは,バビロニアの神官たちも知らなかったことなのです。

だから,その日食がタレスの住んでいるところの近くで起こり,
しかも,戦争の真っ最中に起こるという劇的なことになったのは,
まったくの幸運だったのです。

しかし,天体は神ではなく,人間にとって,理解可能なものであるという
ことを証明したタレスの業績は,
それ以後,多くの弟子たちに
「科学研究への勇気」を与えることになりました。

そして,タレスの弟子の弟子,アナクサゴラスによって,
日食の原因も,月食の原因も解明されることになりました。

そんなタレスやアナクサゴラスのことを想像しながら,
皆既日食をたのしんできたいと思います。

中国から可能なかぎり,
このブログで,旅行の様子をお伝えしたいと思います。
読んでいただけるとうれしいです。

皆既日食見学旅行(その3)

世界最初の公開実験

「日食の予測」

に成功したタレスの名は,
一躍古代ギリシアの国々に広がっていきました。
そのことで自信を深めたタレスは,
それ以後次々と偉大な仕事うを成し遂げます。
(それは又別の話になるので,別の機会に)

では,ここで問題です。

【問題1】

 では,タレスは日食が起こる原因を知っていたのでしょうか。

予想
ア.知っていた。
イ.知らなかった。




答えは,次のブログで。

2009年7月18日土曜日

皆既日食見学旅行(その2)

記憶にとどめておいてほしい日食があります。
それは,紀元前585年5月28日に起こった日食です。
その日食は,今のトルコのある地方でおこりました。
今から2600年前,
日本が縄文式土器と呼ばれる土器をつくって,
狩猟中心の生活をしていた頃の出来事でした。

それまでにも,数えきれないくらい日食は起こっていたのに,
どうしてその日食が大事なのでしょうか。

実は,その日食は

「人類史上初めての,予想された日食」

だったのです。

その当時の多くの人にとって,
太陽や月は,神々でした。

その神々の動きを予想した人がいたのです。

神々の動きを予想するだけでも,大変なことなのに,
彼は,その予想を多くの人の前で発表しました。
だっからそれは,

「世界最初の公開実験」

と言っていいかもしれません。

そして彼の予想は,見事的中したのです。

その人の名前を「タレス」と言います。

「世界最初の科学者」

という言葉にふさわしい人だと私は思います。

(その2,終り)

2009年7月17日金曜日

皆既日食見学旅行(その1)

皆既日食を見るために,中国に上海に出発する日が近づいてきました。
月曜日,朝10時に関空を出発します。
皆既日食を見ることもたのしみですが,
「皆既日食をたのしむ人たちの雰囲気」
に触れることができるのが,一番のたのしみです。

また中国,上海や杭州の様子を通して,
今の中国の現実のほんの一端でも知ることができればと
願っています。

皆既日食と言えば,
僕としては古代ギリシアのタレスという人のことが
気になります。
タレスは歴史上はじめて
皆既日食を予想して,「的中した!」
として知られているのですが,
そんなタレスの功績に思いを寄せながら,
「皆既日食観察旅行記」を書いてみたいと思います。

「こんなことを伝えてほしい」などの
ご要望があれば,ぜひ教えてください。
皆既日食というたのしみを直接体験できるという幸運に感謝しつつ,
(今気づきました。一年早く退職しなければ,この旅行は不可能でした)
少しも多くの人と共有できればと思っています。

不本意ながら,一年早く退職したことに
意味があったことになります。
まさに
「どっちに転んでもシメタ!」
ですね。

2009年6月28日日曜日

尾崎豊を少しでも知るために(その3)「Kさん宅へ」

さて,いよいよKさん宅を目指します。

 交番を出たのが,午前3時前後と考えられます。大量の覚せい剤が,その猛威をふるい始めるのも,午前3時以降でしょう。いったいどんな気持ちで,覚せい剤の猛威と闘いながら,彼はここからKさん宅までを歩いたのでしょうか。

 交番を出るとすぐに,信号があり,その信号を渡って,卸売市場沿いに歩くとおよそ7ふんから8分でKさん宅にたたどり着きます。Kさん宅の前を通ってまっすぐ歩けば,およそ20分くらいで,自宅のマンションにたどり着きます。

 ところが,彼はその道を通らず,Kさん宅の裏を斜めに走る道を選びます。私もこれで2回その道を歩くことになるのですが,この道がすごくいい道なのです。昔,この道の上には卸売市場への鉄道の引き込み線があったようです。それで,きれいにまっすぐ,緑に包まれた道が続いているというわけです。

 それにこの道は,おそらく彼の毎日のジョギングロードだったと思われます。


 

 そして,この道沿いのKさん宅の庭にはいりこんで,そこで覚せい剤の猛威と闘っているところをKさんたちに見つかり,白髭橋病院へと運ばれることになります。
  
 同じ道を実際に歩いてみて,いろんな思いがわきあがってきました。


 


 2枚の写真は,その「入口」と「途中の道」の様子です。

尾崎豊を少しでも知るために(その2)「北千住大橋交番」

6月27日(土)午前中

 いよいよ今回の探訪旅行のメイン,「北千住探訪」です。2回目ということで,懐かしい感じがしました。
 JR日暮里で常磐線に乗り換えて,JR北先住駅で下車。

 今日はいろいろ行くところがあるので,時間を節約するために,タクシーに北先住大橋交番に。
 そしたらなんと,乗ったタクシーの運転手さんが尾崎ファン。偶然のことにびっくり。「15の夜」が大好きとのこと。実際ご自身も15歳の時に家出されたとのこと。先輩のいじめや学校の体制に抗議しての家でだったそうです。尾崎はなんといっても、歌の歌詞がいいとのことでした。「また連絡を取り合いましょう」と約束して,北千住大橋交番前でタクシーをおりました。

 下の写真が,亡くなった日にタクシー運転手とトラブルがあって,タクシーを降りた交番です。残念ながら,建て替えられたようで,当時の交番とは様子が違っているそうです。




尾崎豊を少しでも知るために(その1)「代々木オリンピックプール」


今さっき(28日,日曜日朝8時)に帰ってきました。いろいろ収穫の多い二日間でした。いろんな思いが広がっています。

少しずつ紹介していきたいので,お付き合いいただけるとうれしいです。

6月26日(金)

尾崎最後のコンサートとなった代々木オリンピックプールをみたくて、「きっとそれはJR代々木駅の近くだろう」ということで、まず代々木駅に行きました。しかしJR代々木駅で聞くと、歩いて25分かかるとのこと。まあ,時間もあるし、代々木の町の様子も見てみたくて、歩くことにしました。歩き始めると、道にまよったみたいで、いけどもいけどもそれらしいところへたどり着きません。仕方がないので、昼食をとって、そこで道を聞くことにしました。そしたらお店の人が「オリンピックプールなら、千駄ヶ谷だよ」ということで、千駄ヶ谷を目指すことに。やっとプールについても、どうも違う感じ。プールの人に聞いてみると、「きっとそれは代々木体育館のことだよ」。思わず「えっ!」。「そこに行くなら、原宿で下車だよ」。もう一度JRで 戻ることに。
 苦労の末に、やっと尾崎が言っていた「代々木オリンピックプール」で はなくて「国立代々木競技場」にたどり着きました。そこは間違いなく、尾崎が最後のコンサートをしたところでした。ちょうどドリカムのコンサートの期間中だったようで、厳粛な気持ちになりました。苦労した けれど、行ってよかったです。今度は、中に入れる日を探して、その日に行きたいと思いました。

写真は,やっと辿り着いた「国立代々木競技場」です。


尾崎豊最後コンサート会場です。






2009年6月24日水曜日

尾崎が亡くなった日の前日のことを調べてきます

6月26日(金)27日(土)と,原稿の検討会で

東京の出版社に行きます。

2日間あるので,時間を見つけて,いつものように

尾崎の足跡をたどりたいと思います。

今回,亡くなる前日の足跡をたどります。



前日の彼の行動(出典永島雪夫『疑惑』(オンタイムズ,1995)

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午後 6:30 会社を出発

午後 7:30 後楽園ビアパーティに出席

午後 9:30 Gホテル(グリーンホテルか?)に

午後10:30 タクシーで芝浦へ

午後11:10 あるお店へ(なんとかこのお店を見つけたい)

午前 1:00 夫人へ電話

午前 2:05 タクシーに乗車

午前 2:40 タクシー運転手とトラブルになり千住大橋派出所へ

午前 3:15 徒歩で小峰氏の家へ

午前 3:30 全裸姿の尾崎を小峰夫人が発見

午前 4:30 夫人,警察へ通報

午前 5:10 警察で保護

午前 5:30 前のマネージャー鬼頭氏へ電話を依頼

午前 5:55 鬼頭氏から父健一へ連絡が入る

午前 6:00 健一から兄康へ連絡

午前 6:08 白髭橋病院へ

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今回は,

先住大橋派出所から

小峰さんの家まで歩いて,

その後,当時尾崎が

住んでいたマンションを

尋ねてみたいと思います。

時間があれば,

白髭橋病院も。

2009年6月12日金曜日

朝日カルチャーセンターの講座

朝日カルチャーセンター「京都」
担当講座の日程が決まりました。
7月29日(水)午後1時から2時30分までです。

1時間半で,2頭のふわふわちょうちょ(祇園バタフライ)を
作ります。
小学生から参加できますので,
お知り合いの方に紹介していただけると
うれしいです。

朝日カルチャーセンター京都の
講座案内文です。

「京都北山に小野郷小学校という学校がありました。その小学校の授業の中で生まれ、祇園でたくさんの舞妓さんたちの温かいアドバイスを受けながら完成した「祇園バタフライ」。まるで本物のちょうちょのようにふわふわと空中を飛びます。色の美しい、世界のちょうちょ10種類の中から、お好きなちょうちょを2つ作ってみましょう。作ったちょうちょについての説明書もおつけしますので、お子様の世界がぐんと広がることでしょう。簡単に、そして何より楽しく作ることができます。(お子様だけの受講の場合は、小学生以上が対象。材料費2つ分で200円)」

京都朝日カルチャーセンターホームページ
から「親と子の夏休み講座」へ

http://www.asahi-culture.co.jp/www/kyoto-i.html

2009年6月4日木曜日

沖ノ島探検その4


やっとゴムボートを組みたてました。
いよいよ上陸です。
しかし,アンカーリング(ヨットを湖上にとめる作業)
の場所が悪くて,上陸できませんでした。
上陸は,次回に。
琵琶湖に浮かぶヨットは,美しいです。

沖ノ島探検その3

沖ノ島北側の
誰も住んでいない箇所です。
岩が露出していて,
いくらゴムボート使っても
上陸できそうにもありません。
やっとうわさに聞いていた
入り江を発見しました。
民家もなくて,まるで無人島の
雰囲気がしました。
これからゴムボートの組みたて作業です。






琵琶湖沖ノ島探検その2

途中,ヨットから見える

比良山系の景色が最高でした。

午後4時過ぎに一艇のヨットと

すれ違いましたが,

それまでは,琵琶湖貸し切り状態でした。




ヨット越しに遠くに見えるのが
沖ノ島です。


琵琶湖沖ノ島探検その1


探検というには,少し大げさすぎますが,

初めて一人で沖ノ島を一周してきました。

風が弱くて,時間がかかりましたが,

一周するとまわったという実感がありました。

合計5時間の航海だったので,

途中でコーヒーを2回飲みました。

ヨットの上で飲むコーヒーはおいしいです。

2009年5月29日金曜日

近江八幡水ケ浜沖の水深を測りました


昨日(28日)は,一日琵琶湖でした。

雨が降ったり,突然晴れたり,急に風が吹いたり,

そして突然やんだり。

いかにも琵琶湖らしい一日でした。

和邇浜を出港して,近江八幡水ケ浜沖まで行きました。

そしてそこの水深を測りました。

ゴムボートで上陸するのに,どこまでヨットで近づけるか

知りたかったからです。

かなり近くまで行けることがわかりました。

ゴムボートで上陸する日がたのしみです。

2009年5月24日日曜日

琵琶湖を遊ぶ












無事に琵琶湖から帰ってきました。

次男と二人だけの航海は初めてでしたが,

最高の一日でした。

今までヨットが嫌いだった次男が

ヨットのたのしさ,ゴムボートのたのしさ,

そして琵琶湖の素晴らしさを実感してくれた

ことが最高にうれしかったです。

「私も行きたい」と思われた方はぜひ

一緒に行きましょう。

2009年5月23日土曜日

琵琶湖を遊ぶ

今日はこれから琵琶湖です。
志賀町の和邇浜を出港して,
近江八幡市の長命寺港をめざします。
そのあと,沖の島を一周して,
うわさに聞いた入り江を探します。
いつかそこの砂浜にゴムゴートで
上陸して,無人島気分を楽しみたいと
思っています。

たくさん写真を撮ってきて,
今日中に公開しますので,
ご期待ください。

エピクロスからの手紙その2

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完訳は無理でしたが,ほぼ半分までは訳せました。
一日も早くギリシア語をマスターして,ギリシア語からの
翻訳を完成させたいです。
2400年前に書かれた一通の手紙,
少し長いですが,おたのしみください。
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       エピクロスの手紙 その2
メノイケウスへ
                 エピクロス著
                 吉田 秀樹訳
●はじめに
若者よ,愛知(哲学)の追求を遅らせてはなりません。年老いた人よ,愛知(哲学)の追求に疲れてはなりません。なぜなら,心をよい状態に保つのに,早すぎるということも,遅すぎるといこともないのですから。
まだ学ぶ時ではないとか,もう遅すぎるとか言っている人は,幸せを求めるにはまだ早すぎるとか,もう遅いとか言っているみたいなものです。
若者は,学ぶことによって,年老いても,たのしかった若き日の思い出にあふれて幸せに暮らせることでしょう。年老いた人は,学ぶことによって,未来を恐れるということがなくなり,若き心をたもてることでしょう。
いつでも私たちは,幸せになる方法を研究しなければなりません。なぜなら,幸せになるとういうことは,すべてのものをもっていることと同じだからです。もし,幸せでなければ,私たちは幸せになるためにあらゆる努力をするのですから。

●基礎的な考え
A.神々
私がいつも教え続けたことを,休むことなく実践し,学び続けてください。私が教え続けたことこそ,よき生活の第一原則であることに確信をもってください。一般に思われているように,神を不死で恵みに満ちた存在として受け止めた以上,神に不死とは対立したことや恵みとは無縁やことを神に押し付けてはいけません。そうではなくて,神は恵まれた存在であり且つ不死の存在であることを信じましょう。神々は確かに存在します。というのも,神々に対する私たちの感覚ははっきりしているからです。しかし,神々は普通の想像されているような存在ではありません。多くの人たちは,神々についての最初のイメージを持ち続けていません。神々を信じない人というのは,普通に思われている神々を破壊する人のことではありません。多くの人に受け入れられている言葉で神々を語る人こそ,神々を信じない人なのです。というのも,多くの人が神々についてもつ考えというのは,自分の知覚ではなく,偽りの推測にすぎないからです。

B.死
 死は,私たちとは何のつながりもないという考えに慣れ親しんでください。なぜなら,すべての良いこと,悪いことは,感覚の中にあるのですが,その感覚が死とともに停止するからです。それゆえ,「死は私たちとって何ものでもない」という真実の考えこそ,死をまぬがれない人生を幸せなものにするのです。かといって,それは人生の無限の時間を付け加えることによってではなく,「不死」や「不滅」に対する欲望を取り去ることによってです。死に恐れるものが何もないと確信した人にとって,人生において恐れるものなど何もないのです。
死を恐れる人が愚かなのは,死が訪れた時に苦しいからではなく,死の予感が苦しいだろうと恐れるが故なのです。For that which is no burden]
Anticipated
 諸悪の中でもっと恐れられているもの,死は,それゆえ私たちとは,何の関わりもないのです。なぜなら,私たちが生きている間,死は存在せず,死が訪れた時には,私たちがもはや存在しないからです。
しかし,人々は諸悪の中で死をもっとも大きな悪と恐れ,その余りの恐ろしさのゆえに,死を望みさえしています。
しかし,よく学んだ人は,生きることを拒否することもなく,ましてや生の終りを恐れることもありません。
人が,ただ量が多い食事ではなく,もっともおいしい食事を望むように,よく学んだ人は,ただいたずらに長い人生ではなく,もっともたのしい人生を生きようとするのです。
若者には「よく生きるように」,年老いた人には「よく死ぬように」と教える人はおろかな人です。なぜなら生きることそのものが望ましいことだからというだけでなく,よく生きることと,よく死ぬことは同じことだからです。
しかし,もっとおろかな人がいます。それは,「生まれなかったほうがよかった」とか,「生まれてしまったからには,早く死んだほうがいい」とか言う人たちです。
そんなことを言う人は,なぜ自分からこの人生に別れをつげないのでしょう。そのための手段ならたくさんあると言うのに。
忘れないで欲しい。明日という日は,必ず来るとはいえないけれど,必ず来ないとも言えないことを。それゆえ,明日への希望をすててはいけないことを。


●行動の指針
A.行動の動機としての「たのしさ」
いろんな欲望の中には,自然な欲望もあれば,むなしい欲望もあります。そして自然な欲望の中には,どうしても必要な欲望と必ずしも必要でない欲望があります。
どうしても必要な欲望には,三つの種類があります。「幸せになるために必要な欲望」,「体のくつろぎのために必要な欲望」,そして「生きるために必要な欲望」。
このことがしっかりわかれば,体の健康と心の平和を得るためにはどの欲望を選び,どの欲望を拒否すればいいかがはっきりすることでしょう。
体の健康と心の平和こそ,恵まれた生活の最終目標です。この目標を達成するために,つまり苦しみと恐怖からの自由を獲得するために,私たちはあらゆることをしているのです。

2009年5月22日金曜日

エピクロスからの手紙

今日は,エピクロスからの第2の手紙を完訳します。
ギリシア語からではなく,英語からなのが残念ですが。
うまく訳せれれば,ブログ上に公開しますので,
ぜひ読んでみてください。
いままで学校で習ってきたエピクロスとは
全然違う人物像が浮かんでくると思います。

2009年5月21日木曜日

琵琶湖を遊ぶ


なぜ写真がアップできないでしょうか。
やっと原因がわかりました。

琵琶湖を遊ぶ


今日初めて,ヨットから琵琶湖湖岸への上陸用

ゴムボートを組み立てて,琵琶湖に浮かべました。

すぐに組み立てることができて,試乗できました。

上陸用にと思っていたのですが,

ゴムボート自体がとてもたのしくて,

半日乗っていました。

途中,稚鮎の群れに遭遇して,

驚いた稚鮎が20匹近くボートの中に

飛び込んできたのには驚きました。

もちろん,稚鮎は琵琶湖にもどしました。