2009年7月26日日曜日

もう一つの「中国・日食観測旅行」

●もうひとつの「中国・日食観測旅行」
 研究仲間の西村先生が,日食観測で中国に来られていたことは知っていたので,ひょっとしたらお会いすることがあるかなと思っていたのですが,まさか上海空港のトレイの入り口で,ばったりお会いするとは。西村先生の顔が目の前に見えた瞬間,本当にびっくりしました。これもひとつの日食みたいなものだなあと思いました。
 
「せっかく中国まで来たのに,残念でしたねえ」の僕の声に,西村先生は興奮気味に「ダイヤモンドリングも金星も見えたよ」は言われました。「えっ!どこでですか」との僕の質問に,「武漢です」との答え。
 即座に,西村先生に日食観望記を書いていただき,この文章に掲載することをお願いしました。西村先生は,躊躇なくその願いを聞いて下さいました。そしてさっそく次のような文章を書いて,貴重な写真とともに,送っていただきました。
西村先生,本当にありがとうございます。さすがに仮説実験授業で出会った研究仲間は,ありがたいし,素晴らしいです。掲載の写真は,西村先生が撮影されたものです。写真については,直接西村先生にお尋ねください。

西村寿雄
メールアドレス  ja3aeh@cc-net.or.jp




日食観望記
                         西村寿雄

「うわー」,「うわー」。
どよめきがあちこちからわき起こる。
あたりの景色は,みるみるうちに闇の世界へ。
道路の街灯が一斉に点灯し,あたりは夜の街に豹変。
空を見ると,すばらしいダイヤモンドリング。
どこからともなく拍手。拍手。
やがて,完全な皆既日食に。
頭上に,こうこうと光輝く一点の明るい星。
「金星だ」,と星仲間が叫ぶ。
〈明けの明星〉〈宵の明星〉が,真昼の明星として頭上から光を照らす。
やがて,二度目のダイヤモンドリング。
またまた,拍手がわきおこる。




やがて,少しずつ明かりがもどり始める。
いましがたの感動を互いに語り合う人々の姿が,またどよめきとなる。
かくて,世紀の天体ショーは徐々に幕を閉じていった。

 7月22日,午前での中国・武漢(Wohan)での光景です。朝からときどき薄雲が空を横切るものの,ほぼ晴れた状態でした。
 私は地学関連のツァーに参加しました。運良く上海から西600kmの武漢が観望場所に選ばれていたのです。責任者に聞くと「上海近くは台風等の影響など受けやすい」という理由で回避されたとのこと,わずかな高確率予測が功を奏した結果になりました。
 瞬く間に暗闇になっていく天体現象は,予備知識がなかったら恐れおののくに違いない光景でした。この日食の姿を,ギリシア時代にすでに予測していた人がいたとは,改めてギリシアの科学に感服した一時でもありました。                  2009,07,25

2009年7月25日土曜日

あとがき

旅行記を読みなおしてみると,
いつの間にか,古代ギリシアが,タレスが
どこかに行っていました。
しかし,きざな言い方になれば申し訳ないのですが,
僕は,タレスをことを
そしてタレスの仲間,ソロンのことを
いつも心に思いながら,
旅行ができたように思います。

だから僕は今,勝海舟の言葉を信じます。

「時代が人を作る」

そして今,
中国にその大きな流れが生まれているように
感じました。

日本では,過去にあった同じ流れは無理だとしても
成熟社会にふさわしい新しい「時代の流れ」を
生み出していけたらなあと思いました。

突然の雨のおかげで,出会えた人たち。
初めて見た遮光板で,三日月のような太陽の見て,
「はじけるような笑顔」
を見せてくれた中国の人たち。

あなたたちの笑顔が
「僕にとってのダイヤモンドリング」
となりました。

いつになっても
世界中の人々が笑顔で
皆既日食をたのしめるような
そんな平和な世界が一日を早く来ることを
願いつつ,
この旅行記を終わりにします。

最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。

2009.7.25(土)
日本時間 午前10時4分
吉田秀樹

2009年7月23日木曜日

おまけの報告

今回の日食観測旅行での忘れられない思い出は、日食観測中に立ち寄ったドライブインでの出来事です。遮光板で太陽を見ていたら、いつの間にか隣にやって来たドライブインの店員さんが見たそうにしているので貸してあげました。そしたら予想以上に三日月状態の太陽が見えたようで、とても喜んでもらえました。それで返してもらえるかなと思っていたら、大声で友達をよびました。そしたらたくさんの人が来られてあっという間に人だかりができました。ドライブインにいた人達まで集まって来て、もう私の見る時間はなくなってしまいました。しかしおかげで貴重な体験ができました。以前板倉先生から、ヨーロッパで発見された望遠鏡が日本にやって来るのに、時間がほとんどかかっていないという話を聞いたことを思い出しました。望遠鏡を日本を伝えた人たちもひょっとしたら同じような楽しさを感じたのかもと思えました。私も自分が見るよりも、楽しそうに遮光板で三日月になった太陽を見て楽しそうにしている人たちを見て、楽しいなと感じました。中国日食観測旅行の大切な思い出になりました。

出国まじかです

出国手続きを終えて後は飛行機が飛び立つのを待っだけです。
日食観測目的できたのに、予想外の出会いがありました。
中国のことが少しわかりました。
沈さんをはじめ、いろんな人に出会えました。
楽しい思い出ができました。
沈さんにごちそうしてもらった中国料理は,
本当においしかったです。
また日本,そして京都に来てください。
今度は僕がごちそうします。

上海の街にあふれているパワーには感動しました。
楽しい旅行でした。
同行のみなさんにはお世話になりました。
森さん,山本さん,田中さん,
この旅行にさそってくれた吉田吉彦さん。
本当に楽しい4日間でした。
ブログを読んでくださった方々ありがとうございました。
日本に帰ったらまた研究をすすめます。
伝えたい古代ギリシアが見えています。

中国4日目の観光

最後の日は観光もと言うことで、森タワービルと魯迅記念館に行きました。森タワーは雲の中で余り景色は見れませんでしたが、足許を飛ぶように流れて行く雲が壮観でした。魯迅記念館では、いろんな展示物を見たり,魯迅の言葉に接しているうちに熱いものが込み上げてきました。思わず『阿Q正伝』を買いました。必ず読みます。この後昼食を食べて上海空港に向かいます。中国ともお別れです。

中国4日目の朝

朝5時に起床。ホテルの周りをジョギングする。早くも街は動いている。そこかしこの店が営業を開始している。お年寄りたちがそこかしこのビルからでてきている。住居のビルはほとんどが六階建てある。エレベーターはない。階段が登れない人が,ここで暮らすのはほとんど不可能と思われる。早朝のジョギングや太極拳へかける人々の思いや願いを感じることのできた,私の早朝ジョギングだった。
終わった後飲んだ、上海マクドのコーヒーはおいしかった。流れてくる中国の音楽も心地よかった。またいつか中国に,上海に,そしてこの中山公園に来たいと思った。

2009年7月22日水曜日

日食観測!?その4

9時55分,トイレ休憩でドライブインに。その時突然雨がやみ、細い三日月状の太陽が現れる。まだ90%近く欠けていることに驚く。それなのにあたりはもう普通に明るい。10時9分再度顔を出す。まだ三日月状態。70%以上欠けている。改めて太陽の明るさに驚く。
10時15分、再度出現。それでも40%くらい欠けている。

10時45分、土砂降り降りの雨の中上海に帰っています。
日食観測報告これにて終りです。

読んでくださった方、ありがとうございました。

日食観測!?その3

9時38分、少し明るくなり、タイピング可能に。
9時40分、一気に明るくなり、普通の状態に近くなる。
9時45分普通の状態に戻り、私たちも上海に戻り始める。
9時48分本格的な雨となる。
降り始める直前,間一髪で60%くらい欠けた三日月状の
太陽を見ることができたことに。

日食観測!?その2

上海方面に戻り始めた途端に雨が降り始める。
午前9時28分、上海方面に移動中。
辺りはすっかり暗くなる。
対向車の2割近くがヘッドライトをつけている。
あまりに暗くなったのでこの携帯パソコンを打っことも困難に。
(使用したパソコンは,pomeraというテキストファイルのみのの,
メモに特化したもので,バックライトはついていない。
しかし,今回の旅行ではこのpomeraにはお世話になった。というか
このパソコンのおかげで,この記録が可能になった)

打っているうちにさらに暗くなる。
現在9時30分、あたりは真っ黒に。
今はまったくの夜です。

日食観測?!

午前8時ホテルを出発。
絶好の観測地点と言われるポイントに向けて出発する。

しかし,時差を考慮することを忘れていたので,
早くも,車の中から30%欠けた太陽が見える。

すぐに近くのインターで車を止め写真撮影。
雲の中から時々顔を出す三日月の太陽を撮影できました。
インターで、これから行こうとしている場所から
戻って来た人たちの情報によれば、その場所は雨とのこと。
(中国では,インターの中で行く方向を変えることができるのです)

急きょ予定を変更して上海方面に移動することに。
第一報告終りです。

3日目の中国です

今,朝の7時47分です。
上海から車で2時間半ほどかかる杭州市に来ています。
本格的に曇っています。
後3時間で晴れるでしょうか。
昨日の杭州の快晴がうそみたいです。
みんな,なんとなく暗い気持ちになっています。

2009年7月21日火曜日

二日目の中国

早朝6時より、ホテル近くの中山公園をジョギング。
たくさんの人が太極拳を楽しんでいました。
その楽しそうに太極拳をするお年寄りたちの様子を
ニコニコと笑顔で見ていく外国人たちの笑顔が素敵でした。
しかし気がつけば僕もここでは外国人だということなので、
ちょっと不思議な気がしました。

上海雑技団

上海雑技団の演技を見ました。
言葉にならない感動をおぼえました。
明日雨で日食が見れなくてもかまわない、
上海に来てよかったと心底思える演技でした。
若い彼らと彼女らたちの日々の努力に
最大の賛辞を贈りたい気持です。
世界は広い!
そして人間は素晴らしい!
ホテル33階の窓から,
暗くなってところどころに
明かりの灯る上海の街を見ながら。

上海にいます

上海に着きたした。最初携帯がつながらなくてあせりました。
しかし同行の人に海外設定の必要性を教えてもらいました。
やっとつながりました。
それにしても,上海は暑いです。
昨日は40度あったそうです。
ものすごい人,そして自転車、バイク、車です。
すごいパワーで街が動いています。
流動人口三千万人だそうです。
その数を実感しました。

2009年7月20日月曜日

関空です

途中JRが信号の故障で止まったりと
トラブルがあったのですが、なんとか関空に到着しました。
9時50分に上海に向けて出発します。

おはようございます

ただ今午前3時51分。予定通り起きれました。
これから最後の点検です。
しかし、タレスのことが気になります。
タレスが人類史上初めて日食を予測し、そして的中できたのは、個人的な才能によるのでしょうか、それとも勝海舟の「時代が人を作る」という言葉のように、何か社会的な要因によるのでしょうか。どう思われますか。


予想
ア、個人的才能が大きい。
イ、社会的要因が大きい。

2009年7月19日日曜日

旅行に向けて,携帯からのテスト送信です。

「皆既日食見学旅行(その4)」

タレスは,日食の原因を知りませんでした。

では,なぜタレスは日食を予想できたのでしょうか。

実は,彼はある人たちが長年にわたって集めたデータを利用したのです。

それは,タレスの近くの国バビロニアの神官といわれる人たちが
集めたデータでした。神官たちは,太陽の動きを克明に記録していました。
その記録は,前721年以来続いていたそうです。
だから,そのデータに基づけば,次の日食はいつ頃起るだろうという予測は
可能になっていたのです。
しかし,神官たちは,その情報を民衆に公開することはありませんでした。
その情報は,王のためのものだったのです。
だから,なんかのルートでその情報を知って,
しかも民衆に公開したタレスは
偉大だと言えるのではないでしょうか。

しかし,そのタレスも,いつ頃に日食が起こるということは
予測できても,それがどこでおこるかということまでは,知らなかったのです。
それは,バビロニアの神官たちも知らなかったことなのです。

だから,その日食がタレスの住んでいるところの近くで起こり,
しかも,戦争の真っ最中に起こるという劇的なことになったのは,
まったくの幸運だったのです。

しかし,天体は神ではなく,人間にとって,理解可能なものであるという
ことを証明したタレスの業績は,
それ以後,多くの弟子たちに
「科学研究への勇気」を与えることになりました。

そして,タレスの弟子の弟子,アナクサゴラスによって,
日食の原因も,月食の原因も解明されることになりました。

そんなタレスやアナクサゴラスのことを想像しながら,
皆既日食をたのしんできたいと思います。

中国から可能なかぎり,
このブログで,旅行の様子をお伝えしたいと思います。
読んでいただけるとうれしいです。

皆既日食見学旅行(その3)

世界最初の公開実験

「日食の予測」

に成功したタレスの名は,
一躍古代ギリシアの国々に広がっていきました。
そのことで自信を深めたタレスは,
それ以後次々と偉大な仕事うを成し遂げます。
(それは又別の話になるので,別の機会に)

では,ここで問題です。

【問題1】

 では,タレスは日食が起こる原因を知っていたのでしょうか。

予想
ア.知っていた。
イ.知らなかった。




答えは,次のブログで。

2009年7月18日土曜日

皆既日食見学旅行(その2)

記憶にとどめておいてほしい日食があります。
それは,紀元前585年5月28日に起こった日食です。
その日食は,今のトルコのある地方でおこりました。
今から2600年前,
日本が縄文式土器と呼ばれる土器をつくって,
狩猟中心の生活をしていた頃の出来事でした。

それまでにも,数えきれないくらい日食は起こっていたのに,
どうしてその日食が大事なのでしょうか。

実は,その日食は

「人類史上初めての,予想された日食」

だったのです。

その当時の多くの人にとって,
太陽や月は,神々でした。

その神々の動きを予想した人がいたのです。

神々の動きを予想するだけでも,大変なことなのに,
彼は,その予想を多くの人の前で発表しました。
だっからそれは,

「世界最初の公開実験」

と言っていいかもしれません。

そして彼の予想は,見事的中したのです。

その人の名前を「タレス」と言います。

「世界最初の科学者」

という言葉にふさわしい人だと私は思います。

(その2,終り)

2009年7月17日金曜日

皆既日食見学旅行(その1)

皆既日食を見るために,中国に上海に出発する日が近づいてきました。
月曜日,朝10時に関空を出発します。
皆既日食を見ることもたのしみですが,
「皆既日食をたのしむ人たちの雰囲気」
に触れることができるのが,一番のたのしみです。

また中国,上海や杭州の様子を通して,
今の中国の現実のほんの一端でも知ることができればと
願っています。

皆既日食と言えば,
僕としては古代ギリシアのタレスという人のことが
気になります。
タレスは歴史上はじめて
皆既日食を予想して,「的中した!」
として知られているのですが,
そんなタレスの功績に思いを寄せながら,
「皆既日食観察旅行記」を書いてみたいと思います。

「こんなことを伝えてほしい」などの
ご要望があれば,ぜひ教えてください。
皆既日食というたのしみを直接体験できるという幸運に感謝しつつ,
(今気づきました。一年早く退職しなければ,この旅行は不可能でした)
少しも多くの人と共有できればと思っています。

不本意ながら,一年早く退職したことに
意味があったことになります。
まさに
「どっちに転んでもシメタ!」
ですね。