2010年5月30日日曜日

『2300年前に書かれた手紙』ーエピクロスからあなたへー

〈翻訳作業について〉
 この翻訳は、2つの英語訳と1つのフランス語訳そして1つのドイツ語訳を参考にしながら、古典ギリシア語から直接訳しています。研究途上にありますので、日々翻訳された日本語が変動することをご了解の上、たのしく読んでいただければうれしいです。

2010年5月29日土曜日

今日の読書日記「内田樹さんのこと」

今朝の朝日新聞でこんな内容の記事を見つけました。
内田さんは,神戸女学院大学教授で,村上春樹さんの解説者としてしばしばマスコミに登場する人ですが,若い頃にはこんな苦労があったのですね。

2010.5.29付け 朝日新聞「be on Saturday」より
【インタビュー】

*教務部長をやり,現在,入試部長という激職ですね。
(内田)
ここには拾ってもらったという恩義がある。東大を出た後,都立大の助手を長く務めていたが,まあ飼い殺しの状態。どこか職がないかと,北は北海道から南は沖縄の琉球まで,三十数校も応募したが,8年間落ち続けた。フランス思想,ユダヤ文化専攻なんて学者を採る大学はない。40歳になっても駄目だったら学者の道はあきらめようと思っていたが,直前に,ここに採用してもらった。
 周囲の学者世界は,もううんざりだった。索莫として水気のない世界。うわさや情報が飛び交い,悪口大好きで,切れ味鋭く他人を切って捨てる。バブル期の東京の雰囲気も好きでなく,神戸に来たからといって,あせりや都落ちなんで感覚はまったくなかった。

2010年5月21日金曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第12話

●映画館での出会い…幸せな結婚生活…
 新しい職場でマリーは,一人の男性と出会います。クラウド・フライという人です。彼もまた,貧しい家庭の人でした。しかも,数年前に流行したインフルエンザのために,妹や弟たちを失っていました。故郷バージニア州の貧しい家族を助けるために,小学校3年で学校をやめて,ボルチモアに働きに来ていました。ある大きな製鉄所で働いていました。彼もまた,ボルチモアで一人ぼっちだったのです。
 マリーが好きになったクラウドは,同じ映画を何回も見に来るようになりました。それで,不思議に思ったマリーが話しかけたことから,二人の交際が始まりました。似たような境遇の二人は,すぐに打ちとけ合い,結婚を考えるようになりました。そして,1930年8月マリー24歳,クラウド26歳の時に,クラウドの故郷バージニアで,結婚式をあげました。クラウドの親戚に囲まれただけのささやかな結婚式でした。〈イーノック・プラット自由図書館〉の司書さんを招待するというマリーの夢は,実現しませんでした。
 決して豊かとは言えない暮らしでしたが,それでも二人は,仲良く幸せにくらしていました。そんな幸せな暮らしの中で,ある日クラウドが,一軒の家の玄関の前の階段にたたずむ悲しそうなマーガレットに出会って,声をかけたという訳です。そしてそのことが,世界中の人から愛されるようになった詩『ザ・ポエムofマリー・E・フライ』の誕生へとつながっていくことになります。
 詩が誕生したのは,結婚から2年後の1932年,マリー26歳の時でした。

(第Ⅰ部終わり)

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第11話

●「黒い木曜日」とよばれる世界中をおそった大不況
 そういう生活が10年以上も続いた1929年10月24日,マリーが23歳の時,突然ニューヨークの株が大暴落しました。その影響は,世界中に飛び火し,世界中の街々が失業者であふれました。ボルチモアでは,自死(自裁)を選ぶ人も多かったそうです。
 人々は苦しい現実の中で,夢と安らぎを求めて,映画館に殺到しました。不況の中,映画館は繁盛しました。マリーは,ヒッポロドーム劇場という,時にはコンサートや演劇も上演するような大きな映画館の窓口の仕事を得ることができました。それまでつとめていたデパートが不況で経営が苦しくなりました。そこでマリーも新しい仕事を探さなければなかったかもしれません。
しかし,コンサートや演劇が上演されることもあるこの劇場は,マリーにとっては憧れの職場でした。愛読書『ロミオとジュリエット』の上演を見たかもしれません。

2010年5月11日火曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第10話

●困難を極めた就職活動
 昼間仕事を探しながら,夜はその図書館で読書をするという日々が続きました。しかし就職活動は困難を極めました。12歳の少女を雇ってくれる所などなかったからです。
 マリーは重大な決意をします。「一生に一度の嘘をつこう。14歳と偽ろう」 
 あるデパートがレジ係を募集していたのですが,14歳以上という条件があったからです。マリーは14歳と偽って,採用試験を受けました。普段の勉強の成果が発揮されました。採用試験を優秀な成績で合格し,年齢を偽ったこともばれることなく,ついに仕事をつくことができたのです。 
 しかし,貧しい暮らしは続きました。お金にゆとりのないマリーは,夜と休みの日は,〈イーノック・プラット自由図書館〉に通いつめました。
 16歳当時の愛読書は,『ロミオとジュリエット』(シェークスピア著)や『嵐が丘』(エミリ・ブロンテ著)でした。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第9話

●〈イーノック・プラット自由図書館〉
 この図書館は,イーノック・プラットという人の寄付によってできた図書館です。イーノックさんも貧しい中努力を重ねて,新しい事業に成功した人でした。彼は成功をもたらしてくれたボルチモアへの感謝の気持ちを込めて,この図書館設立の資金を寄付しました。彼は図書館を作るにあたって,次のことを大事にしてほしいと訴えました。
 
「この図書館はすべての人に開かれている,貧し人にも,豊かな人にも。人種も肌の色も問われない」
                
 この言葉は,この図書館の一番大事な決まりとなりました。この言葉に基づいて運営されているこの図書館は,貧しくて身よりのないマリーに,どれだけの幸せな時間を提供してくれたことでしょう。しかも,
この図書館には親切な司書さんもいました。毎日夜になると図書館にやってくる12歳の孤児に,読書の相談にのってくれる人がいたのです。実現しなかったとはいえ,マリーは自分の結婚式に,「イーノック・プラット図書館のその司書さん」を招待したかったのですから。
 そんな司書さんがいたこの図書館は,マリーにとって,唯一の心休まる場所となりました。マリーは,その司書さんのアドバイスを受けながら,この図書館にある本をほとんど読みました。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第8話

●ボルチモアへ
 細い糸でつながった街が,一つだけありました。ボルチモアです。マリーは,ジョンが亡くなる前に,何度かボルチモアの親戚の家をジョンと一緒に訪れたことがあったのです。「その親戚の家を頼ってボルチモアへ行こう」,マリーはそう考えました。
 安い給料をやりくりして,やっと旅費と少しのお金をためることができたマリーは,ある朝,誰にも見送られることもなく,一人ぼっちでボルチモアを目指しました。12歳の時のことでした。
 ボルチモアの遠い親戚の家にたどり着いたマリーでしたが,その家も貧しくしかもたくさんの子どもがいたので,一緒に住むことはできません。親戚の家の紹介でマリーは,出稼ぎにきている女性労働者のための下宿に住むことになりました。貧しい住まいだったことでしょう。しかし,大きな幸運がマリーを待っていました。下宿の前の道路の向かい側に,〈イーノック・プラット自由図書館〉という名前の市立図書館があったのです。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第7話

●突然の不幸-ジョンの死-
 しかし,そんなマリーを大きな不幸が襲いました。勉強を教えてくれていたジョンが,狩猟中に流れ弾に当たって,死んでしまったのです。もう誰からも,両親のことを聞けなくなってしまいました。マリーは,本当に一人ぼっちになってしまったのです。
 そんなマリーを更なる不幸が襲います。日ごろから,マリーのことを嫌っていたメイが,マリーを一人残して,自分の実家に帰ってしまったのです。それまで住んでいた家も売られてしまい,住むところがなくなった10歳のマリーは,「家政婦」として3カ月ごとに家々を渡り歩く生活をすることになりました。朝から晩まで炊事・洗濯・掃除をし,食事は台所の隅で一人食べるという暮らしが続きました。
 そんな生活が一年続いた後,ある大きな家で長期間働くことになりました。しかし,その家での扱いは,本当にひどかったようです。マリーは,その家から逃げ出すことを考え始めます。しかし,一人ぼっちのマリーに行くところがあったのでしょうか。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第6話

●マリー・E・フライの生い立ち
 マリーは,両親の名前を顔も知らない孤児でした。3歳の時,生まれた街の駅から汽車に乗せられ,車掌に預けられて,遠い親戚の家まで連れていかれたのです。しかしその親戚も縁の薄い親戚で,仕方なしにマリーを引き取ったのでした。おじさんのジョンは,まだマリーをかわいがってくれたのですが,奥さんのメイは,「血がつながっていない」ということで,マリーにきつくあったようです。
 4歳の時に,アメリカ中で国勢調査が行われました。しかしマリーは,その調査の時に家の奥に隠されました。マリーの存在を認めれば,いずれ養子にするしかないことを恐れたメイの意見が尊重されました。その結果マリーは,幼稚園にも,小学校にも行けなくなったのです。

 マリーをかわいそうに思ったジョンは,六歳半になったある日マリーにこんなことを言いました。

「お前のパパやママが誰だったのか,何が起こったのか。もう少し大きくなって物事がわかるようになったら,ちゃんとすべてを教えてあげよう」

 そして「私がお前に字を教えてあげよう」と付け加えました。他の子どもたちのように,勉強したくてたまらなかったマリーは,早く両親のことが知りたい気持ちもあって,一生懸命勉強しました。すぐに字が読めるようになったマリーのために,ジョンは近くの図書館で,ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を借りてきてくれました。その本のとりこになったマリーは,繰り返しその本を読みました。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第5話

●ささやかなお祝いごと
 しかし,その悲しみも時間とともにいやされていき,時折マーガレットの顔にも,笑顔がみえるようになりました。そんなある日のことです。ちょうどその日は,マーガレットがマリーの家にやってきた記念日でした。マリーは,ささやかなお祝いをすることにしました。ごちそうをつくるために,マリーは紙袋に一杯の食料を買ってきました。そして,二人で,お祝いの料理を作り始めました。
 マーガレットが紙袋から,マリーが買ってきた「サクランボ」を取り出した時のことです。突然その「サクランボ」が入っているビンを抱きしめたマーガレットの瞳から涙があふれました。「どうしたの?」というマリーの問いに,「これ,ママの大好物だったの」と答えたマーガレットは,「ごめんさい」という言葉を残して,二階へと駆け上がっていってしまいました。
 どんななぐさめの言葉も,今のマーガレットをはげますことはできないと感じたマリーは,日ごろから《生と死》について自分が感じていたことを,詩につづることにしました。そしてその詩が少しでも励ましになればと願って,マーガレットにプレゼントすることを思いつきました。そこで,紙袋の端っこ切り取って,その紙に,次のような詩を書いたのです。

ザ・ポエムofマリー・E・フライ
                      訳・吉田秀樹

私のお墓の前で泣かないでくだい。
そこに私はいません。
そこに眠ってなんかいません。

私は吹きわたる千の風の中にいます。
私はやさしく舞い落ちる雪の中にいます。
私はやさしく降りそそぐ雨粒の中にいます。
私は熟した穀物が咲き誇る畑の中にいます。

私は朝の静けさの中にいます。
私は円を描いて飛ぶ美しい鳥の優雅な流れの中にいます。
私は夜ふりそそぐ星の光の中にいます。

私は咲き誇る花の中にもいます。
私は静かな部屋の中にもいます。
私はさえずる鳥たちの中にもいます。
私は愛しきものひとつひとつの中にいます。

私のお墓の前で泣かないでくだい。
そこに私はいません。
そこに眠ってなんかいません。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第4話

●新しい生活

 マリーに助けられたマーガレットの暮らしは,たのしいものでした。親切なマリー夫婦のおかげで,新しい仕事も見つかりました。優しいボーイフレンドもでき,マーガレットのアメリカでの新しい生活が始まりました。
 しかしそうなると,ドイツにおいてきた母親のことが気になります。心配するマーガレットを見かねたマリーは,マーガレットと一緒に,母親の様子を調べ始めます。ヒットラーに支配されたドイツは,混乱していました。母親の様子は,なかなか分かりません。困り果てたマリーたちは,休みの日には近くの港まで出かけて,ヨーロッパからやってくる人たちに,「だれかマーガレットのお母親さんのことを知りませんか?」と尋ねて歩いたりもしました。
 そんなある日,ドイツから一通の手紙が届きました。その手紙には,次にように書かれていました。

「問い合わせ人はすでに死亡していることが確認された。ドイツ政府」

 この知らせを聞いたマーガレットは,悲しみのあまり玄関の床に崩れ落ちました。その「悲しみ」と「寝たきりの母親をドイツに残してきたことに対する後悔の気持ち」は,計り知れないほど大きかったことでしょう。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第3話

●マーガレット,マリーの家に住むことに
 マーガレットの話を聞いたマリーは,すぐにマーガレットを引き取ることにしました。マーガレットをやとっていた家の人も,マーガレットのことをよく思っていなかったので,喜んでその求めに応じました。
 こうしてマーガレットは,マリーの家に住むことになりました。しかし,マリーの家も決して裕福ではありません。空いている部屋があったわけでもなかったのですが,生まれてくる子どものために用意されていた部屋がありました。前の年に卵巣の腫瘍を摘出する手術を受けていたマリーは,医者から「もう子どもを産めないでしょう」と言われていました。そこで,その部屋をマーガレットに提供することにしたのです。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第2話

●その女性の話

 その女性は,ユダヤ人でした。ユダヤ人と言うのは,ある民族のことです。しかしただ民族というわけでなく,ユダヤ教という宗教を信仰すれば,だれでもユダヤ人になることができます。ユダヤ教というのは,キリスト教を生み出すもとになった宗教なのですが,結果的にはそのユダヤ教を信じる人たちがイエス・キリストを殺すことになってしまいました。それ以来,キリスト教を信じる人々の間では,「イエス・キリストを殺したユダヤ人」ということで,嫌われることが歴史上幾度かありました。そのユダヤ人を最も嫌ったのが,ドイツのヒットラーと言う人でした。
ヒットラーがいた頃のドイツは,大変な状態でした。第一次世界大戦という,世界中が2つに分かれて戦った戦争に負けたドイツには,ばく大な賠償金が科せられ,国民は不幸のどん底にいました。そしてさらに,世界的な大不況が起こり,ただでさえ苦しいドイツ国民を更に苦しめるという状態になっていました。ヒットラーは,そんな状態のドイツでどんどん力をつけ始めていました。国民の不満をうまく利用することに成功し,「我々の不幸の原因は,ユダヤ人にある」と宣伝し始めたのです。そして自分たちの国からユダヤ人を追い出すことを計画していました。いや追い出すだけなく,殺害することさえ,考えていたのです。
 後年その計画は実行に移され,150万人のユダヤ人の子どもたちと450万人のユダヤ人の大人たちが,計画的に殺されました。



 ボルチモアのある家の玄関に座っていたそのユダヤ人女性の名前を,マーガレットといいます。マーガレットとその母親は,もともとはドイツにいました。しかしこのままドイツにいては,いつ殺されることになるかわからないと心配していました。そこで,ドイツを脱出して,アメリカに亡命することを考えました。ただ,大きな問題がありました。それは,母親が寝たきりで,一緒にアメリカに行くことができないということでした。マーガレットも,母親をおいてアメリカに行くことなど考えもしませんでした。しかし,娘の将来を心配した母親は,アメリカ行きを強く進めました。最初は母親をおいてアメリカに行くことに乗り気になれなかったマーガレットでしたが,余りの母親の勧めと増える一方のヒットラーの脅威に,ついにアメリカ行きを決意します。何十倍という試験に合格し,アメリカでドイツ語を教えるという仕事を得て,アメリカ行きを実現させました。「いつか母親をアメリカに呼び寄せる」という夢を描いていたにちがいありません。
 しかし,実際アメリカに来てみると,アメリカでの暮らしは決してバラ色ではありませんでした。ドイツ語の教師として採用されたにもかかわらず,仕事の内容は家事や子どもの世話といったものでした。またマーガレットがユダヤ人とわかってからは,雇い主のドイツ人は,さらにきつくマーガレットにあたるようになりました。
 アメリカでの暮らしも楽ではなく,ドイツに置いてきた母親のことも心配で,暗い表情で家の前に座っていたという訳です。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第1話

【お願い】
 この話は,2010年2月に出版された井上文勝さん著『「千の風になって」紙袋に書かれた詩』(ポプラ社)を基に書かれています。井上さんの素晴らしい本の内容を,「学校の教材として子どもたちに伝えたい」という私の思いで,書き始めたものです。今現在井上さんの了解は取れていません。完成の暁には,きちんと井上さんのご了解がいただければと思っています。そういう事情ですので,この話の引用は,井上さんの了解がとれるまで,お控えください。

●ある女性のこと 

今から100年以上も前の,アメリカでの話です。アメリカにボルチモアという街があります。その街のある一軒の家の玄関の階段の所に,一人の女性が座っていました。エプロンをしているので,その家の「家政婦」のようです。とても悲しそうな顔をしています。その悲しそうな表情が,ある男の人の目にとまりました。男の人は,「こんにちは」と声をかけたのですが,それ以上は何も言えませんでした。男の人は,家に帰って奥さんにその女性のことを伝えました。話を聞いた奥さんは,心配のあまりすぐに,女性を訪ねることにしました。
 奥さんの名前を,マリー・E・フライといいます。実はマリー自身も,以前に同じ仕事をしていて,何度も悲しい思いをしたことがあったのです。マリーが女性を訪ねて声をかけると,女性は不安そうな表情を見せました。そこでマリーは女性を安心させるために,「さっきあなたに声をかけた男性は,私の夫ですよ」と説明しました。そのことを知った女性は,安心したようで,「何がそんなに悲しいのですか」というマリーの質問に,心を開いて話してくれるようになりました。

2010年5月6日木曜日

EFS-Sakura(松ボックリのアクセサリー)作品番号NO .1を作りました






作品番号 EFS-Sakura No.1


桜をイメージして作ってみました。

もう桜は散ってしまったのですが…。


これで,4つの作品が完成しました。