2009年5月29日金曜日

近江八幡水ケ浜沖の水深を測りました


昨日(28日)は,一日琵琶湖でした。

雨が降ったり,突然晴れたり,急に風が吹いたり,

そして突然やんだり。

いかにも琵琶湖らしい一日でした。

和邇浜を出港して,近江八幡水ケ浜沖まで行きました。

そしてそこの水深を測りました。

ゴムボートで上陸するのに,どこまでヨットで近づけるか

知りたかったからです。

かなり近くまで行けることがわかりました。

ゴムボートで上陸する日がたのしみです。

2009年5月24日日曜日

琵琶湖を遊ぶ












無事に琵琶湖から帰ってきました。

次男と二人だけの航海は初めてでしたが,

最高の一日でした。

今までヨットが嫌いだった次男が

ヨットのたのしさ,ゴムボートのたのしさ,

そして琵琶湖の素晴らしさを実感してくれた

ことが最高にうれしかったです。

「私も行きたい」と思われた方はぜひ

一緒に行きましょう。

2009年5月23日土曜日

琵琶湖を遊ぶ

今日はこれから琵琶湖です。
志賀町の和邇浜を出港して,
近江八幡市の長命寺港をめざします。
そのあと,沖の島を一周して,
うわさに聞いた入り江を探します。
いつかそこの砂浜にゴムゴートで
上陸して,無人島気分を楽しみたいと
思っています。

たくさん写真を撮ってきて,
今日中に公開しますので,
ご期待ください。

エピクロスからの手紙その2

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完訳は無理でしたが,ほぼ半分までは訳せました。
一日も早くギリシア語をマスターして,ギリシア語からの
翻訳を完成させたいです。
2400年前に書かれた一通の手紙,
少し長いですが,おたのしみください。
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       エピクロスの手紙 その2
メノイケウスへ
                 エピクロス著
                 吉田 秀樹訳
●はじめに
若者よ,愛知(哲学)の追求を遅らせてはなりません。年老いた人よ,愛知(哲学)の追求に疲れてはなりません。なぜなら,心をよい状態に保つのに,早すぎるということも,遅すぎるといこともないのですから。
まだ学ぶ時ではないとか,もう遅すぎるとか言っている人は,幸せを求めるにはまだ早すぎるとか,もう遅いとか言っているみたいなものです。
若者は,学ぶことによって,年老いても,たのしかった若き日の思い出にあふれて幸せに暮らせることでしょう。年老いた人は,学ぶことによって,未来を恐れるということがなくなり,若き心をたもてることでしょう。
いつでも私たちは,幸せになる方法を研究しなければなりません。なぜなら,幸せになるとういうことは,すべてのものをもっていることと同じだからです。もし,幸せでなければ,私たちは幸せになるためにあらゆる努力をするのですから。

●基礎的な考え
A.神々
私がいつも教え続けたことを,休むことなく実践し,学び続けてください。私が教え続けたことこそ,よき生活の第一原則であることに確信をもってください。一般に思われているように,神を不死で恵みに満ちた存在として受け止めた以上,神に不死とは対立したことや恵みとは無縁やことを神に押し付けてはいけません。そうではなくて,神は恵まれた存在であり且つ不死の存在であることを信じましょう。神々は確かに存在します。というのも,神々に対する私たちの感覚ははっきりしているからです。しかし,神々は普通の想像されているような存在ではありません。多くの人たちは,神々についての最初のイメージを持ち続けていません。神々を信じない人というのは,普通に思われている神々を破壊する人のことではありません。多くの人に受け入れられている言葉で神々を語る人こそ,神々を信じない人なのです。というのも,多くの人が神々についてもつ考えというのは,自分の知覚ではなく,偽りの推測にすぎないからです。

B.死
 死は,私たちとは何のつながりもないという考えに慣れ親しんでください。なぜなら,すべての良いこと,悪いことは,感覚の中にあるのですが,その感覚が死とともに停止するからです。それゆえ,「死は私たちとって何ものでもない」という真実の考えこそ,死をまぬがれない人生を幸せなものにするのです。かといって,それは人生の無限の時間を付け加えることによってではなく,「不死」や「不滅」に対する欲望を取り去ることによってです。死に恐れるものが何もないと確信した人にとって,人生において恐れるものなど何もないのです。
死を恐れる人が愚かなのは,死が訪れた時に苦しいからではなく,死の予感が苦しいだろうと恐れるが故なのです。For that which is no burden]
Anticipated
 諸悪の中でもっと恐れられているもの,死は,それゆえ私たちとは,何の関わりもないのです。なぜなら,私たちが生きている間,死は存在せず,死が訪れた時には,私たちがもはや存在しないからです。
しかし,人々は諸悪の中で死をもっとも大きな悪と恐れ,その余りの恐ろしさのゆえに,死を望みさえしています。
しかし,よく学んだ人は,生きることを拒否することもなく,ましてや生の終りを恐れることもありません。
人が,ただ量が多い食事ではなく,もっともおいしい食事を望むように,よく学んだ人は,ただいたずらに長い人生ではなく,もっともたのしい人生を生きようとするのです。
若者には「よく生きるように」,年老いた人には「よく死ぬように」と教える人はおろかな人です。なぜなら生きることそのものが望ましいことだからというだけでなく,よく生きることと,よく死ぬことは同じことだからです。
しかし,もっとおろかな人がいます。それは,「生まれなかったほうがよかった」とか,「生まれてしまったからには,早く死んだほうがいい」とか言う人たちです。
そんなことを言う人は,なぜ自分からこの人生に別れをつげないのでしょう。そのための手段ならたくさんあると言うのに。
忘れないで欲しい。明日という日は,必ず来るとはいえないけれど,必ず来ないとも言えないことを。それゆえ,明日への希望をすててはいけないことを。


●行動の指針
A.行動の動機としての「たのしさ」
いろんな欲望の中には,自然な欲望もあれば,むなしい欲望もあります。そして自然な欲望の中には,どうしても必要な欲望と必ずしも必要でない欲望があります。
どうしても必要な欲望には,三つの種類があります。「幸せになるために必要な欲望」,「体のくつろぎのために必要な欲望」,そして「生きるために必要な欲望」。
このことがしっかりわかれば,体の健康と心の平和を得るためにはどの欲望を選び,どの欲望を拒否すればいいかがはっきりすることでしょう。
体の健康と心の平和こそ,恵まれた生活の最終目標です。この目標を達成するために,つまり苦しみと恐怖からの自由を獲得するために,私たちはあらゆることをしているのです。

2009年5月22日金曜日

エピクロスからの手紙

今日は,エピクロスからの第2の手紙を完訳します。
ギリシア語からではなく,英語からなのが残念ですが。
うまく訳せれれば,ブログ上に公開しますので,
ぜひ読んでみてください。
いままで学校で習ってきたエピクロスとは
全然違う人物像が浮かんでくると思います。

2009年5月21日木曜日

琵琶湖を遊ぶ


なぜ写真がアップできないでしょうか。
やっと原因がわかりました。

琵琶湖を遊ぶ


今日初めて,ヨットから琵琶湖湖岸への上陸用

ゴムボートを組み立てて,琵琶湖に浮かべました。

すぐに組み立てることができて,試乗できました。

上陸用にと思っていたのですが,

ゴムボート自体がとてもたのしくて,

半日乗っていました。

途中,稚鮎の群れに遭遇して,

驚いた稚鮎が20匹近くボートの中に

飛び込んできたのには驚きました。

もちろん,稚鮎は琵琶湖にもどしました。