2011年7月28日木曜日

古代のギリシアの神像の破壊はコンスタンティヌスから始まっていた

研究のあゆみ:7月28日(木)-② 早朝自宅にて


『世界伝記大百科事典Ⅳ』(桑原武夫編集,ほるぷ出版,1982)
「コンスタンティヌス1世」の項目
p326)

異教の神々への供犠が続けられる一方で,
2,3の神殿は閉鎖を命じられ,
神殿を破壊したキリスト教信者の暴徒も,
当局から罰せられなかった。
コンスタンティヌス自身も,
若干(?…吉田の気持ち)の神殿の略奪に関与し,
金と象牙を被せてあった神像の木身しか
異教の信者には残されなかった。
この略奪の本当の理由は,
コンスタンティヌスが執心していた
建築事業の資金を補充するため,
神像の金,銀の被膜が必要であったらしい。

アリスタルコスがストランに学んだ場所は?

ひさしぶりのブログです。このシリーズ,しばらく続けます。読んでいただけると,うれしいです。

研究のあゆみ:7月28日(木) 早朝自宅にて

『世界伝記大百科事典Ⅰ』(桑原武夫編集,ほるぷ出版,1982)
「アリスタルコス(前310頃~230)」の項目
p222)
アリスタルコスはサモス島に生まれた。アテナイに行き,紀元前288年(または287年)(22歳前後)から前270年(または269年)(40歳前後)まで,ペリパトス学派主宰者ランプサコスのストラトンの下で学んだ。

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(秀樹曰く)この情報は貴重です。というのも,今まで私は,「地動説を発見したアリスタルコスが,真空の実在を実験的に証明したストラトンに学んだのは,アレキサンドリアだ」と勝手に思い込んでいたからです。師ストラトンは,ランプサコスで,原子論を確立したエピクロスに学んでいます。ということは,紀元前288年から前270年の間(270年エピクロス死去,後を追うように同じ年ストラトン死去),アテナイで,にエピクロスとストラトンとアリスタルコスがともに生きて,ともに学んでいたことになるではないですか。地中海中に支持者が広がったエピクロスの教え。そして衰退する一方のアリストテレスの教え。一体,どんな思いを抱いて,アリスタルコスは,アレクサンドリアに赴いたことでしょう。