2010年6月30日水曜日

授業プラン《はやぶさの旅》

授業プラン《はやぶさの旅》がいい感じになってきました。〈はやぶさ〉のように,私もいくつもの壁を乗り越え,地球へ向かって邁進中です。仮説実験授業の全国大会が今年は石川県で7月末にあります。そこで全国発表する予定です。それにむけて,明日京都市内のある小学校で模擬授業をします。感想文を書いてもらいますので,またこのブログでアップします。
 今一番こまっているのは,〈はやぶさ〉に搭載されたイオンエンジンがどうように推進力を発揮するのかが,伝わってこないことです。どなかた詳しい方はおられませんか。それから,ちょっと驚いたことがひとつ。ロケットの推進力を「反動」で説明している本が多い(特に児童書はほとんどそうなっている)のですが,この説明は「間違っているのではないか」という気がしています。もっと納得のいく説明を考えています。それがうまくいくと「たのしい授業」になりそうです。全国の学校でつかってもらえるように,顔晴ります。

2010年6月20日日曜日

今日の読書日記「ヒトラー誕生の謎」

「ヒトラーが,なぜ誕生し,
そしてなぜ600万のユダヤが
殺されなければならなかったのか」

これは,同じ現象の再発を防ぐためにも
解決されることが必要な問題ではないでしょうか。
『1千の風』問題から,この問題にたどりつくとは
予想もしていず,驚いています。
そして,実はこの問題は「クリスマスの誕生」
「古代のギリシア文化の滅亡」
という問題ともつながっているのです。

解決には時間がかかりそうです。
しかし,やるに値する問題です。
仮説実験授業を生み出された板倉先生から
重要なアドバイスをいただきました。
「ヒトラー誕生を謎にしている一番の理由は
映画『サウンドオブミュージック』ではないか」
というアドバイスです。
 一体どういうことなのか。
もう少し調べてからまた報告します。
ただ今授業プラン≪はやぶさの旅≫の作成が
たのしい段階なので,それが完成してからに
なります。

2010年6月14日月曜日

今日の読書日記「ヒトラー誕生の謎」

『千の風になって』がヒトラーの脅威から逃げてきたユダヤ人女性のために書かれたということがわかってきたので,以前から気になっていた「ユダヤ人問題」についても,もう少し勉強する必要を感じています。僕の先生は,〈板倉聖宣〉という人なのですが,その板倉が次のようなことを言っています。

******************************************
僕のヒトラー問題についての最終的な結論は,〈ドイツをめぐる他の国々がドイツをいじめすぎた〉と。〈他の国々がドイツをいじめすぎたので,国家主義がドイツ人の心をすごく支配した〉と。そして,〈そのリーダーであるヒトラーが,それなりに賢くて有能であった〉と。
******************************************

 確かに,第一次世界大戦の敗戦国となったドイツには,莫大な賠償金が科せられ,翌年から始まった賠償金返済の後すぎに,国内にゼネストがおこり,国民の間には不安と不満が高まっています。ヒトラーが徐々に支持を伸ばしていくのは,確かにこの後なのです。『千の風になって』という研究テーマに,僕に3つの研究テーマを与えてくれそうです。
(1)ヒトラー誕生のなぞ
(2)ユダヤ人問題の歴史
(3)原子論の歴史
 この3つ,それぞれが重要な研究テーマです。なにげなく始めた『千の風になって』研究が,さらに勉強を必要とする研究になっています。これからの研究がたのしくなってきました。

2010年6月9日水曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第21話

●日本での広がりについて
 この詩が,日本で広がるのに最も貢献した人は,テレビタレントのデーブ・スペクターという人です。彼は,友人の坂本九という歌手が飛行機事故(1985年「御巣鷹山」の事故)で亡くなった時,葬儀の中でこの詩を読むように葬儀委員長に頼みました。葬儀委員長の永六輔は,デーブ・スペクターの申し出を了承し,実際に葬儀の中でマリーの詩を読みました。マリーの詩は,遠く離れた日本でも,多くの人たちに感動をもたらしました。またデーブ・スペクターの友人に,南風椎(はえしい)という人がいました。マリーの詩をデーブ・スペクターに紹介された南風椎(はえしい)は,自分でその詩を翻訳し,1995年に『1000の風-あとに残された人へ』(三五館)という本を出版しました。
 この本を読んで感動した人の中に,新井満という人がいました。自身歌手でもある新井は,より自由に訳して,曲をつけ,その歌に『千の風になって』というタイトルをつけました。自分で歌った30枚の自家製のCDも作りました。その内の1枚が朝日新聞の記者に渡り,朝日新聞に紹介されることによってうわさとなり,多くの歌手が歌い始めました。
 いろいろな歌手たちに歌われたのですが,2006年に秋川雅史という歌手によって歌われ始めました。この歌手による歌『千の風になって』は,多くの人の支持を集め,同年のNHK紅白歌合戦で歌われました。そしてそのことによって,さらに多くの人に知られるようになったという訳です。

                    (第Ⅱ部終わり)

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第20話

●すでに行われていた調査活動
 アメリカで,そしてイギリスで,「詩の作者は誰なのか」という問題が大きくなっていきました。しかし,実はその問題が大きくなるよりも7年前から,あるテレビ番組の中でマリーの詩が読まれたことをきっかけとして,作者探しは行われていました。しかもテレビ局の「詩の作者を探しています」という報道に対して,マリー自身が友だちに勧められて,「失礼とは思いますが,その詩は実は私が書いたものです」と名乗り出ていたのです。
 放送局は,「マリーの申し出が真偽かどうかの調査」を,リチャード・K・シュールという著名な記者に依頼しました。シュールは,数年間の調査の後,「マリーがこの詩の作者であることは間違いない」と確信しました。そして1983年6月に,詩の真の作者としてのマリーのインタビュー記事が発行されていたのでした。ただ「この詩の作者は誰なのか」という問題が,当時はそれほど多くの人々の関心をひかなかったために,シュールの記事自体が注目されなかったです。スペースシャトルの事故の後の追悼記事,そしてクミンスの遺書を通して,「詩の作者は誰か」ということが,アメリカでそしてイギリスで,大問題になっていったという訳です。
日本で出版された井上文勝著『「千の風になって」紙袋に書かれた詩』(ポプラ社)は,この問題に多くの人が納得できる回答を与えてくれる,世界で最も権威のある本だと言えるのです。英語に訳されて,世界の人々に読まれる日が待ち望まれます。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第19話

●マリーの詩がイギリスで最も愛される詩に
 クミンスが亡くなってから6年後の1995年に,イギリスで最も愛される詩を決める「英詩の日」というテレビのイベントが行われました。候補となった100の詩の中から一番好きな詩を選んで視聴者に投票してもらい,投票数が一番多いものを,「イギリスで最も愛される詩」と認定する
という取り組みでした。1万2千件の応募がありました。
しかし発表の当日,誰も予想しなかったことが起こりました。発表前のイベントとして,クミンスの父が,息子が残した遺書に書かれていたマリーの詩を朗読しました。そうしたら,それを見ていた視聴者から,マリーの詩のコピーが欲しいというリクエストが殺到しました。その数は,3万件に達したそうです。
 翌年,コンペの結果を集約した本が出版されました。その中で編者は,「クミンスが残した作者不明のこの詩こそ,今のイギリスで最も愛されるものである」と述べました。

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第18話

●イギリスでの噴出
 ちょうど同じ頃,イギリスでもマリーの詩が地下から噴き出し,多くの人に知られるような事件が起こりました。スペースシャトルの爆発事故から3年後の1989年3月8日,イギリスで道端に仕掛けられた爆弾が爆発し,2人のイギリス兵士が死にました。2人の兵士のうちの1人ステファン・J・クミンスは,死を予感していたのでしょうか,両親宛ての遺書を用意していました。その遺書は,2枚の紙に書かれていました。1枚目には,「先に死ぬ僕を許してください。そして僕を殺したものたちを許してあげてください」と書かれていました。そして残るもう1枚に,マリーの詩が書かれていたのです。
 この遺書のことは新聞でも報道され,多くの人がクミンスの葬儀にかけつけました。ミンクスの遺灰は,彼の遺志に従って,葬儀場の花園の中にまかれました。

2010年6月7日月曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第17話

●地下水のように流れ続けたマリーの詩
しかし書き変えられた詩は,多くの人に支持されました。時代を超えて,多くの人たちが,愛する人の死に直面した時,マリーの詩を読み続けました。作者不明のまま,詩は読みつがれたのです。それはまるで大地の下を流れる地下水のように人々の心をとらえ,人から人へと語り継がれました。
 しかし,地下水はいつかどこかで地表に吹き出すものです。マリーの詩も,ついに地表に吹き出す時がきました。それは,1986年のことでした。詩が生まれてから,54年が立っていました。この年にアメリカで大きな事故が起こりました。1月28日,スペースシャトルが離陸直後に爆発し,乗組員7人が全員死亡しました。アメリカ中,いや世界中が悲しみに包まれました。
 この事故の後,アメリカのある著名なジャーナリストが,いくつかの新聞に,7人の死者の追悼のために,「作者不明の不朽の名作」として,マリーの詩を紹介しました。大きな反響がありました。感動の声とともに,「その詩の作者を知っています」「その詩の作者は私です」という投書が,多数寄せられました。これをきっかけとして,この詩の作者探しが始まりました。いち時期,「この詩はネイティブアメリカンの祈りの言葉である」と騒がれたこともありましたが,すぐにそうではないことが明らかになりました。

2010年6月6日日曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第16話

●書きかえられたマリーの詩
 では,大きな変更を受けたマリーの詩は,どのようになったのでしょうか。『千の風になって」紙袋に書かれた詩』(ポプラ社)の中に,井上さんの詩が載っていますので,それをそのまま紹介します。8ページの原詩と見比べながら読んでみてください。

私のお墓の前でたたずみ泣かないで
私はそこにいません 眠っていません

私は吹きわたる千の風
私は雪の面のダイヤモンドのきらめき
私はたわわな麦畑にそそぐ陽の光
私はやさしい秋の雨
あなたが朝の静けさのなかで目覚めるとき
私は上空へと急旋回する
静かな鳥たちの羽根の音
私は夜を照らすやさしい星々

私のお墓の前でたたずみ嘆かないで
私はそこにいません 死んでいません

出典
井上文勝著『千の風になって」紙袋に書かれた詩』
(ポプラ社)

2010年6月5日土曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第15話

●消えてしまった前置詞「in」
2つの文が消えてしまった以上に,大きな変化をもたらしたのが,前置詞「in」が消えたことです。マリーの原詩には,I am の後にほとんどの場合,inが続きます。4つの文だけ,inがありませんが,これはinがあまりに続きすぎると,音読した時にきつくなるために,省略されたのであって,基本的にはすべての文にinがあると考えていいと思います。ということは,このamは,「~にいる」という意味で使われています。「~である」という意味でもなく,新井さんの訳のように「~になって」という意味でもありません。「そんなことどうでもいいではないか」と思われるかもしれませんが,実はこの違いはとても大きいのです。この違いについても,第3部でお話ししたいと思います。

   ***********************************************************
実は,この他にも書き変えられた2個所があります。1つは,「私は静かに舞い落ちる雪のなかに
います」が「私は雪の面のダイヤモンドのきらめき」に変わりました。もう1つの変更は,原詩に
はなかった「あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき」の個所が付け加えられました。
***********************************************************

2010年6月4日金曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第14話

●消えてしまった2つの文
 では,マリーの原作から,どの文が消えてしまったのでしょうか。私の考えでは,この2つの文は詩全体の中で,重要な位置を占めていると思えて仕方がないですが,その文がなくなってしまいました。どの文が消えてしまったか予想がつきますか。
 消えてしまったのは,次の2つの文です。

その1…「私は静かな部屋の中にもいます」
その2…「私は愛しきものひとつひとつの中にいます」

 消した人は,どうしてこの2つの文を消したのでしょうか。もちろん今となっては誰にもわかりません。予想するしかないのですが,あなたはどんな理由を予想しますか。またマリー自身は,どんな思いを込めてこの2つの文を書いたのでしょう。そんなことを考えながら,もう一度マリーの原詩を読んでみてください。(私の仮説は,第3部で紹介する予定です)

2010年6月3日木曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第13話

(第2部)
●書きかえられたマリーの詩
 マーガレットは、マリーの詩をとても気に入りました。職場の人に見せると、職場の人たちも「とてもいい詩だ」とほめてくれました。職場の仲間の一人が「その詩をポストカードに印刷して多くの人に読んでもらおう」と提案しました。多くの人が賛成しました。そのための費用は、職場のみんなのカンパですぐに集まりました。数百枚のポストカードが印刷されることになりました。
 しかし、ここで問題が起こりました。ポストカードにするには、マリーの詩は少し長すぎたのです。そこで大事な文が2つ省略されました。さらに前置詞「in」がすべて消されました。しかも,印刷されたポストカードには、作者の名前が書かれませんでした。「なんでそんなひどいことを!」と思うかもしれません。しかし、マーガレットの職場の人たちは、マリーの詩がいい詩だとは思えても、まさかその詩が後に世界中の人から支持されるようになるほどの詩とは思えなかったのです。軽い気持ちで行ったことが,のちに世界中を巻き込んだ大問題になるとは,マーガレットの職場の人たちには,想像もできなかったのです。

2010年6月2日水曜日

『2300年前に書かれた手紙』ーエピクロスからあなたへー

第56章 最初の文
「しかし,原子があらゆる大きさをもつと考えることは,現実にあるものの性質の違いを説明する助けにはならないよ。あらゆる大きさをもつを考えると,その原子が目に見えるほどの大きさになる場合があるからね。そんなことはありえないよ。原子が目に見えることがあるなって,考えることすらできないんだよ」

(コメント)
 歴史的に考えるとこの文は,とっても重要な文章です。「原子論」というアイデアを初めて出したのは,
レウキッポスとデモクリトスなのですが,彼らの考えた原子は目に見える大きさをもつものでした。エピクロスはそれを否定したわけです。同じ「原子」のイメージでも,その内容はまったく異なることになります。エピクロスの「原子」は,宇宙の無限や原子の数の無限とつながるイメージをもつものです。歴史的には,デモクリトスのアイデアを盗作したと非難されるエピクロスですが,同じ原子でも,その内容はまったく新しいものだったのです。「原子論におけるオリジナリティーを主張する」エピクロスを,私は支持したいと思います。

2010年6月1日火曜日

『2300年前に書かれた手紙』…エピクロスからあなたへ…

第55章 後半
「だからといって,原子があらゆる大きさをもつと考えてはいけないよ。それは,感覚が提供する事実と違うことになるからね。 もちろん,原子がいろいろな大きさをもつことは間違いないね。そういうふうに考えた方が,感情や感覚がもたらす事実の説明がより簡単になるからね」

(コメント)
 今の言葉ではないのです。2300年前だということをいつも心にとめて読んでください。イエス誕生300年前の手紙でした。イエスもきっとエピクロスの手紙を読んだことでしょう。「イエスがエピクロスことを知っていた」という仮説は,私に重要な研究テーマです。ちなみに,キリスト教の教理を作ったと言われるオリゲネスとアウグスティヌスは,エピクロスの本をかなり読んでいます。