2011年9月26日月曜日

ギリシアの神殿の話

○ギリシア神殿を定義
ギリシア神殿を見たことがありますか。
アテネにあるパルテノン神殿は見たことがあるという
人は多いのではないでしょうか。
しかし、エーゲ海の周辺には実はたくさんのギリシア神殿があります。

ギリシア神殿を定義すると、次のようになります。

「切妻(きりづま)屋根をもつ長方形の神殿」
                                                 (出典:日本大百科全書)
切妻屋根とは、三角形の屋根のことです。

○ギリシア神殿の種類
ギリシア神殿は、その柱の形によって、
3つの種類に分けられています。
ドーリス様式
イオニア様式
コリント様式
の3種類にです。

では、その3つの種類の神殿の内部は、
それぞれ違うと思いますか。
それとも、同じと思いますか

予想
ア 違うと
イ 同じ






















○ギリシア神殿の内部
正解は、「同じ」です。
ギリシア神殿は、柱の形が違っていても、
内部はみんな同じで、次のような
構造になっていました。

前室(プロナオス)
主神を安置する主室(ナオス)
その背後の後室(オピストドモス)

今では、ギリシア神殿と言えば、
柱しか話題にならず、実際柱しか
残ってないのですが、
実は1000前後あったと言われる
神殿にはそれぞれ、
主神を安置する主室があり、
そこにはおそらく
金と象牙でできた神像が
あったと思われます。

では、その1000前後の
神像は、どこに消えたのでしょうか。
像は壊せても、
金と象牙は残ります。
その物質は、いったい何に姿を変えたのでしょうか。

○おまけの話「ギリシア神殿とローマ神殿の違い」
「ギリシアとローマの神殿の基本的な相違は、
ギリシアの神殿がつねに東を正面として3段の低い基壇の上に建っているのに対し、
ローマのそれはとくに決まった方向性がなく、
正面には高い階段が設けられている。
さらにローマ時代の建築を特徴づけるアーチ式工法の採用から、
パンテオンのような壮大な円形神殿も造営された」
ということです。日本大百科全書からの引用でした。

2011年8月8日月曜日

板倉聖宣『科学者伝記小事典』(仮説社,2009)
p21)「アリスタルコスの項目」
 古代ギリシアのサモス島で生まれ,アテナイで前288~270年の間,アリストテレス学派の学校で学んで帰ったという。

(秀樹曰く…志筑忠雄の真似をしています)
前288~270年というのは,
重要な18年間です。
というのも,
原子論を確立したエピクロスが269年に死去し,
後を追うように
真空の存在を実験で証明したストラトンが,
270年に死去しています。

ストラトンは,アリストテレス学派の
第3代学長ですが,
その学長が,アリストテレスの考えを
真っ向から否定する実験をしています。
これは,まさに学派を超えた
科学者的な研究姿勢だと思います。
そういうストラトンに,
地動説を発見したアリスタルコスは,
学んでいるのです。

しかも,
アリスタルコスは,
エピクロスと同じサモス島出身でした。
人間として,同郷の人に対して
親しみを感じるのは,昔も今も同じではないでしょうか。

しかも,
ストラトンは,出身地ランプサコスで
エピクロスに学んでいるのです。

この三者が,
この18年間で,
アテナイで
原子論と地動説を確立したでのはないでしょうか。

今まで誰も語ったことのない事実ではないかと思います。

新しい古代のギリシア,
新しい科学の歴史,
そして
新しくて,楽しい哲学の歴史を
生み出すことができそうです。

9月18日(日)に
東京で発表します。

2011年7月28日木曜日

古代のギリシアの神像の破壊はコンスタンティヌスから始まっていた

研究のあゆみ:7月28日(木)-② 早朝自宅にて


『世界伝記大百科事典Ⅳ』(桑原武夫編集,ほるぷ出版,1982)
「コンスタンティヌス1世」の項目
p326)

異教の神々への供犠が続けられる一方で,
2,3の神殿は閉鎖を命じられ,
神殿を破壊したキリスト教信者の暴徒も,
当局から罰せられなかった。
コンスタンティヌス自身も,
若干(?…吉田の気持ち)の神殿の略奪に関与し,
金と象牙を被せてあった神像の木身しか
異教の信者には残されなかった。
この略奪の本当の理由は,
コンスタンティヌスが執心していた
建築事業の資金を補充するため,
神像の金,銀の被膜が必要であったらしい。

アリスタルコスがストランに学んだ場所は?

ひさしぶりのブログです。このシリーズ,しばらく続けます。読んでいただけると,うれしいです。

研究のあゆみ:7月28日(木) 早朝自宅にて

『世界伝記大百科事典Ⅰ』(桑原武夫編集,ほるぷ出版,1982)
「アリスタルコス(前310頃~230)」の項目
p222)
アリスタルコスはサモス島に生まれた。アテナイに行き,紀元前288年(または287年)(22歳前後)から前270年(または269年)(40歳前後)まで,ペリパトス学派主宰者ランプサコスのストラトンの下で学んだ。

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(秀樹曰く)この情報は貴重です。というのも,今まで私は,「地動説を発見したアリスタルコスが,真空の実在を実験的に証明したストラトンに学んだのは,アレキサンドリアだ」と勝手に思い込んでいたからです。師ストラトンは,ランプサコスで,原子論を確立したエピクロスに学んでいます。ということは,紀元前288年から前270年の間(270年エピクロス死去,後を追うように同じ年ストラトン死去),アテナイで,にエピクロスとストラトンとアリスタルコスがともに生きて,ともに学んでいたことになるではないですか。地中海中に支持者が広がったエピクロスの教え。そして衰退する一方のアリストテレスの教え。一体,どんな思いを抱いて,アリスタルコスは,アレクサンドリアに赴いたことでしょう。

2011年2月13日日曜日

ストーンヘンジの玄武岩の話(第一話)

ストーンヘンジの玄武岩の話(第一話)
 
イギリスの首都ロンドン近くに
ストーンヘンジという遺跡があります。
ストーンは「石」という意味です。
ヘンジは「ちょうつがい」の意味ないしは
「絞首台」「拷問具」のを意味を表す
と考えられているそうです。
 
今は石でできていますが,
もともとは木でできていました。
石に変わったのは,紀元前2600年頃です。
 
その石のことが気になっています。

馬蹄形に石が集まっていますが,
その石は火成岩だそうです。
 
しかし,
あまり注目もされていませんし,
写真にも映ることが少ない石が1つあります。
その石群から少し離れたところに,
「ヒールストーン」
という石が立っています。
 
「ヒール」の語源が気になるところですが,
いくつか説があって,私は,
「道・太陽日」を意味する
という説が気に言っています。
 
実はこの高さ6mの「ヒールストーン」
が玄武岩からできているのです。
 
「なぜ,この石だけが玄武岩なんだろう」
 
この疑問から,ストーンヘンジに
興味が湧いてきました。

(火成岩と玄武岩の違いも
よくわかっていないのですが)

2011年2月1日火曜日

フェイスブックについてその5(フェイスブックとグーグル)

ある雑誌で知ったことをもとに問題を作りました。
気楽に予想してみてください。

フェイスブック社には、もとグーグル社にいたという人がいます。
その割合はどれくらいでしょうか。

予想

ア、10%〜20%
イ、30%〜40%
ウ、半分以上



正解は












正解は、
ウ。
60〜70%だそうです。

私は、アメリカらしいなという感じがしました。
条件がよければ、
ビジネスライクにどんどん転職していくんですね。

「週間ダイヤモンド」1月29日号からの情報でした。

フェイスブックについてその4(グーグルとフェイスブック)

今京都岡崎公園にいます。
大文字山の大の字を見ながら
このブログを作成しています。
道具は、ipadとブルーテゥース対応の
折りたたみ式キーボードです。
どこででも、仕事ができるようになりました。

グーグルがフェイスブックがまだ始まっったばかりの頃に
わざわざザッカーバーグの家まで向いて、提携を
呼びかけたことがあったそうです。
しかし、ザッカーバーグ自身が断ったそうです。
断った基本コンセプトは、

グーグルは「データ」を提供するが、
フェイスブックは、「人」を提供する

ということだったそうです。

確かにフェイスブックは、
「人」を提供するSNSになっているようです。

「人は人との関わりの中でしか
豊かに生きていけない」

研究仲間のノートルダム小学校の
シスターベアトリスの言葉です。

フェイスブック、さらに広がりそうですね。

フェイスブックについて(その3)

『フェイスブック』(日経BP)p31
にこんな記述があります。

「ユーザーの身元を確認できる方式にしたことで、
ザ・フェイスブックは、匿名でなんでもありな
先行のソーシャルネットワークとは根本的に
違う性格を帯びることになった」

ザ・フェイスブックは、ソフトウェアにすぎず、
コンテンツを供給するのは
あくまでユーザー自身だということのようです。

僕なりに表現すると
自分で管理し、自分で運営する「ソーシャルネットワーク」
と言っていいのでしょうか。

技実がどんどん進み、
製本にしても、出版にしても
「個人の可能領域」が
どんどん広がっているように思います。

人が人とつながっていくのに、
今まであった障害がどんどんなくなって、
自由に活動できるようになっているような
気がします。

ある大学の図書館で、学習することが多いのですが、
そこにある蔵書のデータが古くて、
結局は、ipadで情報を得るということがおおいというのが
現状です。
この流れは、さらに加速しそうです。

Facebookは、そういう流れに乗ったいう感じがしています。

2011年1月30日日曜日

フェイスブックのついて(その2)

フェイスブックを立ち上げたザッカーバーグの言葉です。彼はある時,ハーバート大学の学生の情報を,求人会社に有料で公開するようなサイトを立ち上げることも考えたそうです。しかし,やめました。その理由が参考になります。
 
ザッカ-バーグの言葉
「そういうことをすると,話が真面目になりすぎて,楽しさが失われてしまう」

「自分のたのしさ,仲間のたのしさ」を最優先で考えていることに感心させられます。いろんな活動におてい,「たのしさ」は手段ではなく,「たのしさそれ自体が目的だ」と言った人がいます。紀元前300年代の人で,エウドクソスといいます。ザッカーバーグの言葉を知って,さらにエウドクソスに対する興味が湧いてきました。

2011年1月28日金曜日

フェイスブックについて

 久しぶりの投稿です。今フェイスブックに興味があ
ります。今日四条烏丸の大垣書店で「フェイスブッ
ク」という本を買ってきました。日経BP社から出て
います。読み始めて,気に入った個所をいくつか
紹介します。

p1)
「われわれの目的は,サイトの滞在時間を最大に
することではない。われわれのサイトを訪問してい
る時間を最大限に有意義なものにしようと努力し
ているのです」(創設者ザッカ-バーグの言葉)

   ⇒納得の言葉です。

p5)
「2004年2月にハーバード大学でフェイスブック
が誕生して以来,実名主義はフェイスブックの
最も重要な方針だ」
「フェイスブックにおいては,あるメンバーが
自分で言うとおりの人間であるかどうかを
確認する一番重要な判断基準は,その
メンバーの友だちリストだ」

  ⇒確かに,それなら信頼できる判断基準
    になりそうです。フェイスブック,たのし
   くなってきました。そろそろ始めようかな
   と思っている今日この頃です。