2013年5月17日金曜日
緒方洪庵のてがみ
緒方洪庵、箕作秋坪(江戸)への手紙、1860(万延元)年10月15日
「北京陥落(西暦9月13日英仏連合軍北京を占領)清帝も出奔のよし。さてさて大歎息のいたりです。プロイセン軍艦もいまだ去かぬよし。お役人も心配ことと思います。いずれ各国がつぎつぎと来るでしょう。こまったものです」
(『緒方洪庵のてがみ その1』菜根出版、1980、p333)
北京陥落というのは、第二次阿片戦争による、英仏軍の北京侵攻のことです。イギリスもフランスも略奪、焼却行為に及び、互いのその行為を非難しあったそうです。そういう清国の危機的な状況の様子は、緒方洪庵のところにも、届いていたということです。
「緒方洪庵のてがみ」
『緒方洪庵のてがみ』(全5巻、菜根出版、1980)
という本があります。
山片蟠桃の、緒方洪庵への影響の痕跡を探すために、読み始めた(身始めた)のですが、驚きました。立派な本なのです。作った人たちの思いがこもっています。山片蟠桃の影響を探すなんてことではなく、この本の内容だけでも、読む(見る)価値があります。素晴らしい本に出会えました。後世の人たちに、これだけの本を生み出させた「緒方洪庵の偉大さ」に思いが募っています。
「だがしかし」、です。
緒方洪庵の家と山片蟠桃の家は、同じ町内という感じです。影響はあったと確信しています。
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