〈ギリシアからインドへ〉その1
『インド数学研究』(恒星社厚生閣)という本を読んでいます。
p399に、こう書かれています。
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インド数学のさまざまな要素の中には、外からインドに伝えられたものも少なからずあるが、文献の上ではっきりと実証できるものはそれほど多くはない。その点で三角法は例外的であり、ギリシアで生まれ、インドで育ちアラビアで発見したことを明瞭に跡付けることができる。それは三角法が天文学の一部として発展し、利用され、しかも常に具体的な数値を伴っていたからである。
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つまり、「数学、天文学において、古代ギリシアから古代インドへのパイプはつながっていた」ということになります。
とすれば、紀元400年代から500年代のインドの天文学者・数学者のアリヤバータが次のように言っている事実に対して、ギリシアの影響は、十分に考えられると私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
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万有引力の地動説に基づく太陽中心の宇宙モデルを提唱。
しかも、地球を含む惑星は、楕円軌道を持って太陽の周りを回っている
出展ウキペディア「アリヤバータ」一部編集
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もし影響が考えられるならば、それはいったい誰の影響でしょうか。