2010年5月11日火曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第2話

●その女性の話

 その女性は,ユダヤ人でした。ユダヤ人と言うのは,ある民族のことです。しかしただ民族というわけでなく,ユダヤ教という宗教を信仰すれば,だれでもユダヤ人になることができます。ユダヤ教というのは,キリスト教を生み出すもとになった宗教なのですが,結果的にはそのユダヤ教を信じる人たちがイエス・キリストを殺すことになってしまいました。それ以来,キリスト教を信じる人々の間では,「イエス・キリストを殺したユダヤ人」ということで,嫌われることが歴史上幾度かありました。そのユダヤ人を最も嫌ったのが,ドイツのヒットラーと言う人でした。
ヒットラーがいた頃のドイツは,大変な状態でした。第一次世界大戦という,世界中が2つに分かれて戦った戦争に負けたドイツには,ばく大な賠償金が科せられ,国民は不幸のどん底にいました。そしてさらに,世界的な大不況が起こり,ただでさえ苦しいドイツ国民を更に苦しめるという状態になっていました。ヒットラーは,そんな状態のドイツでどんどん力をつけ始めていました。国民の不満をうまく利用することに成功し,「我々の不幸の原因は,ユダヤ人にある」と宣伝し始めたのです。そして自分たちの国からユダヤ人を追い出すことを計画していました。いや追い出すだけなく,殺害することさえ,考えていたのです。
 後年その計画は実行に移され,150万人のユダヤ人の子どもたちと450万人のユダヤ人の大人たちが,計画的に殺されました。



 ボルチモアのある家の玄関に座っていたそのユダヤ人女性の名前を,マーガレットといいます。マーガレットとその母親は,もともとはドイツにいました。しかしこのままドイツにいては,いつ殺されることになるかわからないと心配していました。そこで,ドイツを脱出して,アメリカに亡命することを考えました。ただ,大きな問題がありました。それは,母親が寝たきりで,一緒にアメリカに行くことができないということでした。マーガレットも,母親をおいてアメリカに行くことなど考えもしませんでした。しかし,娘の将来を心配した母親は,アメリカ行きを強く進めました。最初は母親をおいてアメリカに行くことに乗り気になれなかったマーガレットでしたが,余りの母親の勧めと増える一方のヒットラーの脅威に,ついにアメリカ行きを決意します。何十倍という試験に合格し,アメリカでドイツ語を教えるという仕事を得て,アメリカ行きを実現させました。「いつか母親をアメリカに呼び寄せる」という夢を描いていたにちがいありません。
 しかし,実際アメリカに来てみると,アメリカでの暮らしは決してバラ色ではありませんでした。ドイツ語の教師として採用されたにもかかわらず,仕事の内容は家事や子どもの世話といったものでした。またマーガレットがユダヤ人とわかってからは,雇い主のドイツ人は,さらにきつくマーガレットにあたるようになりました。
 アメリカでの暮らしも楽ではなく,ドイツに置いてきた母親のことも心配で,暗い表情で家の前に座っていたという訳です。

0 件のコメント: