2010年6月9日水曜日

『千の風になって』という歌が私たちに届くまでの話・第21話

●日本での広がりについて
 この詩が,日本で広がるのに最も貢献した人は,テレビタレントのデーブ・スペクターという人です。彼は,友人の坂本九という歌手が飛行機事故(1985年「御巣鷹山」の事故)で亡くなった時,葬儀の中でこの詩を読むように葬儀委員長に頼みました。葬儀委員長の永六輔は,デーブ・スペクターの申し出を了承し,実際に葬儀の中でマリーの詩を読みました。マリーの詩は,遠く離れた日本でも,多くの人たちに感動をもたらしました。またデーブ・スペクターの友人に,南風椎(はえしい)という人がいました。マリーの詩をデーブ・スペクターに紹介された南風椎(はえしい)は,自分でその詩を翻訳し,1995年に『1000の風-あとに残された人へ』(三五館)という本を出版しました。
 この本を読んで感動した人の中に,新井満という人がいました。自身歌手でもある新井は,より自由に訳して,曲をつけ,その歌に『千の風になって』というタイトルをつけました。自分で歌った30枚の自家製のCDも作りました。その内の1枚が朝日新聞の記者に渡り,朝日新聞に紹介されることによってうわさとなり,多くの歌手が歌い始めました。
 いろいろな歌手たちに歌われたのですが,2006年に秋川雅史という歌手によって歌われ始めました。この歌手による歌『千の風になって』は,多くの人の支持を集め,同年のNHK紅白歌合戦で歌われました。そしてそのことによって,さらに多くの人に知られるようになったという訳です。

                    (第Ⅱ部終わり)

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