2009年8月27日木曜日

テスト送信です

写真を送ったらどうなるかのテスト送信です。

気になった記事

たまたま入ったラーメン屋で置いてあった
『フライデー』を何気なく読んでみました。

FRYDAY8/26増刊号(講談社、平成21年)

です。

その中に,

「世界のロック&ムービースター31人の死」

という特集がありました。
「きっと尾崎も載っているだろう」という
仮説を立てて,読んでみました。
予想通り,載っていました。日本では,他には
松田優作,夏目雅子,沖雅也,岡田有紀子,
hide,沖田浩二が載っていました。

尾崎の記事はこんな内容でした。

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尾崎豊
肺水腫 26歳(1992年)
「92年4月25日、東京足立区の民家の軒先で、傷だらけで倒れていたのを住人に発見され、搬送先の病院で死亡。死因は、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用による、急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫だった」

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「肺水腫」,「致死量の2.64倍の覚醒剤」
この2つの事実は,すでに多くの人に納得してもらえる事実でしょう。
問題は,「服用」という言葉です。
「服用」という言葉は,
「自分で飲んだ」ということになります。

それは,まったく納得がいきません。
尾崎の名誉のためにも,
尾崎は「服用」してはいません。
これだけは,断言したいです。
では,なぜ体内から致死量の2.64倍の
覚醒剤がみつかったのか。
これが「なぞ」なのです。
ことは「犯罪に関すること」になりかねない
慎重な取り扱いを要する出来事です。

ただ犯罪としても,すでに時効は成立しています。
だから,犯人を捜すとかといったことではなく,
尾崎の生き方としての「真実」を
明らかにしたいと思います。
尾崎の頑張りを無駄にしないためにも。

2009年7月26日日曜日

もう一つの「中国・日食観測旅行」

●もうひとつの「中国・日食観測旅行」
 研究仲間の西村先生が,日食観測で中国に来られていたことは知っていたので,ひょっとしたらお会いすることがあるかなと思っていたのですが,まさか上海空港のトレイの入り口で,ばったりお会いするとは。西村先生の顔が目の前に見えた瞬間,本当にびっくりしました。これもひとつの日食みたいなものだなあと思いました。
 
「せっかく中国まで来たのに,残念でしたねえ」の僕の声に,西村先生は興奮気味に「ダイヤモンドリングも金星も見えたよ」は言われました。「えっ!どこでですか」との僕の質問に,「武漢です」との答え。
 即座に,西村先生に日食観望記を書いていただき,この文章に掲載することをお願いしました。西村先生は,躊躇なくその願いを聞いて下さいました。そしてさっそく次のような文章を書いて,貴重な写真とともに,送っていただきました。
西村先生,本当にありがとうございます。さすがに仮説実験授業で出会った研究仲間は,ありがたいし,素晴らしいです。掲載の写真は,西村先生が撮影されたものです。写真については,直接西村先生にお尋ねください。

西村寿雄
メールアドレス  ja3aeh@cc-net.or.jp




日食観望記
                         西村寿雄

「うわー」,「うわー」。
どよめきがあちこちからわき起こる。
あたりの景色は,みるみるうちに闇の世界へ。
道路の街灯が一斉に点灯し,あたりは夜の街に豹変。
空を見ると,すばらしいダイヤモンドリング。
どこからともなく拍手。拍手。
やがて,完全な皆既日食に。
頭上に,こうこうと光輝く一点の明るい星。
「金星だ」,と星仲間が叫ぶ。
〈明けの明星〉〈宵の明星〉が,真昼の明星として頭上から光を照らす。
やがて,二度目のダイヤモンドリング。
またまた,拍手がわきおこる。




やがて,少しずつ明かりがもどり始める。
いましがたの感動を互いに語り合う人々の姿が,またどよめきとなる。
かくて,世紀の天体ショーは徐々に幕を閉じていった。

 7月22日,午前での中国・武漢(Wohan)での光景です。朝からときどき薄雲が空を横切るものの,ほぼ晴れた状態でした。
 私は地学関連のツァーに参加しました。運良く上海から西600kmの武漢が観望場所に選ばれていたのです。責任者に聞くと「上海近くは台風等の影響など受けやすい」という理由で回避されたとのこと,わずかな高確率予測が功を奏した結果になりました。
 瞬く間に暗闇になっていく天体現象は,予備知識がなかったら恐れおののくに違いない光景でした。この日食の姿を,ギリシア時代にすでに予測していた人がいたとは,改めてギリシアの科学に感服した一時でもありました。                  2009,07,25

2009年7月25日土曜日

あとがき

旅行記を読みなおしてみると,
いつの間にか,古代ギリシアが,タレスが
どこかに行っていました。
しかし,きざな言い方になれば申し訳ないのですが,
僕は,タレスをことを
そしてタレスの仲間,ソロンのことを
いつも心に思いながら,
旅行ができたように思います。

だから僕は今,勝海舟の言葉を信じます。

「時代が人を作る」

そして今,
中国にその大きな流れが生まれているように
感じました。

日本では,過去にあった同じ流れは無理だとしても
成熟社会にふさわしい新しい「時代の流れ」を
生み出していけたらなあと思いました。

突然の雨のおかげで,出会えた人たち。
初めて見た遮光板で,三日月のような太陽の見て,
「はじけるような笑顔」
を見せてくれた中国の人たち。

あなたたちの笑顔が
「僕にとってのダイヤモンドリング」
となりました。

いつになっても
世界中の人々が笑顔で
皆既日食をたのしめるような
そんな平和な世界が一日を早く来ることを
願いつつ,
この旅行記を終わりにします。

最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。

2009.7.25(土)
日本時間 午前10時4分
吉田秀樹

2009年7月23日木曜日

おまけの報告

今回の日食観測旅行での忘れられない思い出は、日食観測中に立ち寄ったドライブインでの出来事です。遮光板で太陽を見ていたら、いつの間にか隣にやって来たドライブインの店員さんが見たそうにしているので貸してあげました。そしたら予想以上に三日月状態の太陽が見えたようで、とても喜んでもらえました。それで返してもらえるかなと思っていたら、大声で友達をよびました。そしたらたくさんの人が来られてあっという間に人だかりができました。ドライブインにいた人達まで集まって来て、もう私の見る時間はなくなってしまいました。しかしおかげで貴重な体験ができました。以前板倉先生から、ヨーロッパで発見された望遠鏡が日本にやって来るのに、時間がほとんどかかっていないという話を聞いたことを思い出しました。望遠鏡を日本を伝えた人たちもひょっとしたら同じような楽しさを感じたのかもと思えました。私も自分が見るよりも、楽しそうに遮光板で三日月になった太陽を見て楽しそうにしている人たちを見て、楽しいなと感じました。中国日食観測旅行の大切な思い出になりました。

出国まじかです

出国手続きを終えて後は飛行機が飛び立つのを待っだけです。
日食観測目的できたのに、予想外の出会いがありました。
中国のことが少しわかりました。
沈さんをはじめ、いろんな人に出会えました。
楽しい思い出ができました。
沈さんにごちそうしてもらった中国料理は,
本当においしかったです。
また日本,そして京都に来てください。
今度は僕がごちそうします。

上海の街にあふれているパワーには感動しました。
楽しい旅行でした。
同行のみなさんにはお世話になりました。
森さん,山本さん,田中さん,
この旅行にさそってくれた吉田吉彦さん。
本当に楽しい4日間でした。
ブログを読んでくださった方々ありがとうございました。
日本に帰ったらまた研究をすすめます。
伝えたい古代ギリシアが見えています。

中国4日目の観光

最後の日は観光もと言うことで、森タワービルと魯迅記念館に行きました。森タワーは雲の中で余り景色は見れませんでしたが、足許を飛ぶように流れて行く雲が壮観でした。魯迅記念館では、いろんな展示物を見たり,魯迅の言葉に接しているうちに熱いものが込み上げてきました。思わず『阿Q正伝』を買いました。必ず読みます。この後昼食を食べて上海空港に向かいます。中国ともお別れです。