2010年4月14日水曜日

『千の風研究』その3「兵士クミンスの手紙」の最後の文

イギリスの兵士クミンスが書いた,「父への手紙」は次の文で終わっていました。

「そして,僕を殺したものたちをゆるしてあげてください。
 永遠に。          ステファン・ジェフリー・クミンス」


 すごい言葉ですね。『千の風研究』を始めたおかげで,私は
一人の無名な兵士クミンスに出会うことができました。
 クミンスに出会えてよかったと思います。

 しかし,このクミンスの手紙が,『千の風』をイギリス中に知らせることに
なるのです。

2010年4月12日月曜日

『千の風研究』その2「兵士クミンスの手紙」

 井上文勝さんが書かれた『「千の風になって」紙袋に書かれた詩』(ポプラ社,2010年)から引用させていただきます。
 クミンスさんの手紙は,2枚だったそうです。
 1枚目は,父に宛てたもの。そこには次のようなことが書かれていました。

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お父さんへ
 これは,この間,最後にお会いした折に差し上げるべきでした。でも,そんなことをしてママと僕の最愛のエピィを悲しませたくなかったのです。わかっていただけますね。
 お父さんはもちろん,愛する他の家族同様に,僕は彼女を愛していたのです。
 こんな僕をゆるしてください。

                        ステファン・ジェフリー・クミンス

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そしてもう一枚,「僕が愛したすべての方々へ」と書かれた後に,『千の風』(日本では『千の風になって』で有名)の詩が書かれていました。



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 実はこのブログを読まれた方に注目してほしくて,私はクミンスさんの最初の手紙の最後の文をあえて省略しています。実はクミンスさんは,
「こんな僕をゆるしてください」
とお父さんに書いた後,注目にする一文を付け加えています。それが,どんな文なのか予想がつきますか。
 私が所属する仮説実験授業研究会の大事な原則は「予想なければ認識なし」です。答えを聞かれる前に,少し予想していただいた方が,クミンスさんのメッセージにこめられた思いがより伝わりそうな気がしています。よろしければ,少しお考えください。

 ヒント
 「そして,○○○○○○をゆるしてあげてください」

と続いています。

2010年4月11日日曜日

『尾崎豊研究』その3

2つの本をもとに,前日の尾崎の行動を振り返ってみると,不思議な事実に気づく。

不思議なこと(1)
会いたくなかった友人Tにたまたまパーティーで会った不思議さ

不思議なこと(2)
その友人に,また近くのホテルで偶然会う不思議さ

不思議なこと(3)
会いたくなかった友人と六本木,そして芝浦まで行く不思議さ

不思議なこと(4)
芝浦で飲んだお店の不可解さ。ある情報では,そのお店は薬物が飲めるお店として知られていた

不思議なこと(5)
尾崎の体内から検出された致死量の2.5倍という覚せい剤の多さ。
専門家によれば,自覚的に飲めるものではない量だそうだ
とすれば,誰かに飲まさせたことになる。
覚せい剤の反応は2時間後に出るといわれている。
裸になって暴れだした時期を,反応の出始めの時間と考えると,
飲んだ(飲まされた?)時間は,1時半ということになって,
芝浦のこのお店が飲んだ(飲まされた?)場所ということになる
    
仮説…この店で尾崎は,店員とけんかをするのだが,その原因は飲んだアルコールの中に
   覚せい剤が入っている事を気づいたことではないのだろうか。
   尾崎の最期の言葉は「勝てるかな」だった
   これは明らかに飲まされた覚せい剤の反応に対して発せられた最期の言葉だった
            
仮説…かせつだらけの仮説だが,こういうふうに考えていくと,つじつまが合う。

*そして今新しいことを思いついた。
そもそも尾崎はなぜ,3人と一緒に芝浦まで行ったのか。
実は尾崎には断れない事情があったようだ。
このことについては,もう少し慎重に話をすすめたい。
尾崎の名誉に関することなので。

2010年4月10日土曜日

『尾崎豊研究』その2

手許にある尾崎の本で,亡くなる前日の様子を詳しくそして正確に報告してくれているのは
次の2冊です。
この2冊の本をもとに,死亡前日の尾崎の足跡を詳しくたどってみましょう。

基礎文献
A…吉岡忍著『放熱の行方』(講談社・1993)
X…永島雪夫著『尾崎豊覚醒剤偽装殺人疑惑』(オンタイムズ・1995)


午後5時…足立区千住曙町のマンションから渋谷区にあるアイソトープにむかう

  6時…会社到着。この日は事務所の給料日

6時30分…仕事を終えた後、後楽園で開かれる予定のパーティーに参加する
     そこで妻と合流する パーティー会場で高校時代の友人Tとその連れとその友人に会う
     (尾崎自身は,Tと会うことを避けていた)

9時すぎ…パーティー終了

9時30分…夫人ともう一人の女性とGホテルへ。そのホテルでまたTたちと会う。1時間ほど酒を飲む
     その後Tたち3人と六本木まで飲みに行く

10時30分…六本木で飲む

?時?分…その後芝浦のクラブ(OBAR)へ

1時30分…友人、自宅にいる妻へ電話。尾崎も話す

2時05分…OBAR付近からタクシーに乗る

2時40分…タクシー運転手とトラブルになり千住大橋派出所へ

3時15分…派出所を出た尾崎は,徒歩で自宅に帰りはじめる
      (このあたりは尾崎のジョギングコース)

3時30分…全裸姿の尾崎が小峰さんの庭で発見される

4時30分…小峰夫人警察へ通報

5時10分…警察に保護される

5時30分…やめさせられたマネージャー鬼頭氏へ警察から通報が入る。鬼頭氏不在。

5時55分…鬼頭氏(奥さん?)から父健一へ連絡が入る

6時00分…健一氏より長男康氏へ連絡が入る

6時08分…尾崎白髭橋病院到着、救急処置室へ

6時20分…尾崎が暴れたので鎮痛剤が打たれる

『尾崎豊研究』その1

『尾崎豊研究』その1

 4月18日(日)に「葬送の自由をすすめる会」の
支部長会議に出席するために東京に行きます。
 その機会を利用して,尾崎が亡くなる前の晩の
様子を少しでも知るために,同じ時刻に同じ場所
を同じような交通手段を使ってたどってみようと
思います。
 不可解な尾崎の死について,何か新しい発見が
あることを期待して。

『千の風』研究その1

『千の風』(日本では『千の風になって』という歌でで知られています)研究

 『千の風』(a thousand winds)という詩があります。

日本では,『千の風になって』という歌で多くの人に知られるようになりました。
世界でこの詩が知られるようになったきっかけがあります。そのきっかけも
『千の風』と同じように多くの人に知ってほしい話なのです。そこで私は,
『千の風』研究を,その話から始めたいと思います。

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 1989年3月北アイルランドで一台のイギリス軍の車が爆発しました。
乗っていた二人の兵士が即死しました。イギリス軍の発表によれば
「アイルランド共和軍が道路端に仕掛けた爆弾によるもの」でした。

 2人の兵士のうちの一人,24歳のステファン・j・ミンクスは,
死を予感していたのでしょうか,もし僕が死んだときにあけてください」という
メッセージをそえてた一通の手紙を父に残していました。
その手紙から,話が始まります。

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2010年3月7日日曜日

「千の風」の作者について

今年の2月7日にポプラ社から『「千の風になって」紙袋に書かれた詩』
という本が出版されました。
今日手に入ってので読み始めたら,とってもいい内容で
一気に読めました。
読みながら,何度も胸が熱くなりました。
この本の内容でほぼ間違いないのではと思えるようになりました。
この本によれば,
「千の風」の著者は
マリー・E・フライさんということになります。
アメリカはボルチモアの人です。
2004年に99歳で亡くなられています。
この人の生涯自体が
また素晴らしく,この人生あってこその
この詩という感じします。
貧しい中で近くの図書館で本を読まれたそうで,
その図書館の本はすべて読んだとご本人が語られています。