2008年7月6日日曜日

古代オリンピックが内部的な理由で終わったことを主張する本その2

『オリンピック物語』(結城和香子,2004,中公新書ラクレ)

p30)
1100年以上続いた古代五輪の終焉。直接の原因は,ローマ皇帝テオドシウスによる,キリスト教以外を認めない異教禁止令だった。しかし,内部から五輪存続を蝕んだ,もうひとつの理由があった。理念の喪失だ。(中略)「理念が消えた時,五輪を他の競技会と区別していた最大の特色が失われた。五輪は聖なる祭典ではなく,単なるショーやスペクタクルになり下がり,それはローマ帝国支配下で数多く行われていた,古代ローマの剣闘士の試合や戦車競争などのスペクタクルと,大差はなくなったのです。単なるショーの一つなら,五輪を特に存続させる意味はなかった」。アテネ大学のシャルコス氏は,五輪の特性が消えた時,存在の意味の薄れたと“内部からの終焉”を分析する。

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僕のコメント
シャルコス氏がいう意味での内部からの堕落は,古代オリンピック再開当時からあったわけで,それで古代オリンピックが終わったとは,とても思えません。前回も書きましたが,内部的な理由で古代オリンピックが終わったのなら,なぜ同時期に「異教神殿破壊令」が発布される必要があったのでしょう。また同時期に無理やり政治的な意図をもって,クリスマスが始められました。古代アレクサンドリアの図書館や研究所が破壊されたのも,古代オリンピックの終焉と時を同じくしています。古代オリンピックは,明らかに外部的な力によって,無理矢理終わらされたと考えざる得ない状況です。それに,内部的な事情で終わったのなら,なぜ426年にテオドシウス2世は,オリンピアのゼウス神殿をはじめとする建造物を焼き払う必要があったのでしょうか。多くの人が大切に思っているからこそ,政治的な権力を使ってギリシアの古代文化を破壊する必要があったのだと思います。それにオリンピックは,最初からシュー的な要素や楽しみをもっていたのです。それを「なり下がった」と表現する姿勢に大衆文化を馬鹿にする態度が見られ,すごくいやな思いがします。大衆消費財が歴史を作ったように,大衆文化が文化を創ってきたのだと僕は思います。特権的な立場にたつ研究を認めることはできません。

吉田秀樹
hi-yoshida@gaia.eonet.ne.jp

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