2014年7月2日水曜日

ミョウバン研究日記

「歴史を消された島、サモス島」

歴史を消された島、サモス島には、
紀元前500年代、いったい何があったのでしょうか。

①ヘラ神殿
ゼウスの妻ヘラはサモス島で誕生したと言われています。そのヘラを祭る神殿です。古代ギリシア最大の神殿と言われていて、アテネのパルテノン神殿の4倍の広さがありました。

②エウパリノスのトンネル
水道を引くためのトンネルが掘られました。紀元前500年代のことです。長さ1kmのトンネルが両側から掘られ、出会い地点の誤差はわずかなものでした。

③巨大な城とその城壁が建設されました。城は全く残っていませんが、城壁は一部残っています。城壁の周囲の長さ6.4kmです。皇居の周囲5km、京都御苑の周囲4kmと比べるとその巨大さがしのばれます。これも紀元前500年代の建設です。

④何の痕跡も残っていませんが、大きな港が建設されました。

⑤大型青銅像の制作工場がありました。古代ギリシア最盛期の彫刻の多くは青銅製です。大型の青銅像の制作技術は、サモス島も工場で開発されました。

⑥エラシストラトスの医学校がありました。
【エラシストラトスの医学校の解説】
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屍体解剖や生体解剖を通してヘーロピロスの研究を発展させ、運動神経と交感神経とを明確に区別し、喉頭蓋や腸間膜の乳び菅を観察、脳の作用や心臓の弁膜の働き等について説明した。「全器官は、他の組織と3手段すなわち動脈・静脈・神経によってつながっている」と主張、ヒッポクラテス流の体液説を退け、デモクリトスの原子論とストラトンの真空論に基づいた独自の見解を述べた。「自然は一つとして無益なことをしない」と信じた彼は、全生理現象を自然的原因によって説明しようとし、薬物・下剤・瀉血の多用に反対して食事・入浴・運動などの養生法をすすめた。カテーテルを発明し、サモスに医学校を設立したとも伝えられ、その学派は後2世紀のガレーノスの頃まで栄えた。著書は4世紀にも、なお読まれていたが、引用断片以外は散逸した。
出典:松原國師『西洋古典学事典』(京都大学学術出版会、2010、京大文学部図)
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⑦美術学校もあったようです。というのも、初歩的遠近法を生み出したアガタルコスは、サモス島出身だからです。

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